第二章 3、「剣の輪舞(ロンド)」(2)

 

  空気をも切り裂くぜーヴルムの剣戟を、シエロは軽く後ろへ跳ねることで避けた。続けざまにゼーヴルムは剣を振るうがそれもことごとく避けられてしまう。
 シエロは始めに剣を向けられた時のように情けない悲鳴をあげはしなかった。だがゼーヴルムのように始終無言という訳ではない。

 シエロは実に楽しそうに、実に愉快そうに声を立てて笑っていたのである。

「はは…っ、ゼーヴルム、君ってやっぱり強いんだね」
「黙れ…」

 からかっているのか本気なのかいまいち判断をつけかねるシエロの言葉に、ゼーヴルムは硬い声を返す。
 ゼーヴルムの剣は全ての動作が次の攻撃へと繋がる。それは彼のたぐい稀なる集中力と反射神経がなせる業で、それでいてまったく剣勢が衰えないことが彼の賞賛されるべきところであり、恐ろしいところでもあった。

 だが次から次へと繰り出されるそんな剣戟をシエロは舞うような足取りで避けていく。そのすぐ後をゼーヴルムの剣が正確に追いかけ、まるで糸で繋がっているかのように両者の動きには一寸の狂いも無い。それは端からは高度に完成し尽くされた舞か殺陣を見ているようでもあっただろう。

 羽が生えているかのような軽い歩調で鋭い攻撃を避けながら、シエロはまじまじとゼーヴルムの動きを眺めた。これまで彼はずっと避ける一方だ。

「ふーん。筋はいいね。基本もばっちりだ。ずいぶん鍛錬を重ねてきたんだろうね。その年ですでにリズムができあがってる」

 右手を顎に置き、感心するように呟く。上段の剣戟を首を傾けて避け、しかしシエロはそのままうぅむと唸った。

「でも残念。右腕でそのリズムが崩れてるな。以前に怪我でもしたのかい?」

 次の瞬間。初めて、シエロの持つ枝がゼーヴルムに向けられた。指摘した右腕とは逆の左側から迫る攻撃。鋭い枝の先がゼーヴルムの灰色の眼を目掛けて突き出される。だが、

(―――フェイク…)

 ゼーヴルムはそれを囮だと見抜き素早く枝の先端を断ち切った。そして片腕を掲げ死角から迫り来る蹴りをガードする。
 筋骨隆々と言う訳ではないが、鍛えられ引き締まった鋼のようなゼーヴルムの体躯。 奇襲に失敗したシエロは逆に弾かれ、よろよろ数歩下がった。 二人の間に距離ができる。 ひゅうとシエロは口笛を鳴らした。

「素晴らしい」

 ぱちぱちと手を叩く。

「貴様、体術も使えるのか」

 シエロの蹴りの当たった腕を見て、ゼーヴルムが眉をひそめた。意図して受けたので、剣を振るうのに支障はないが軽く痺れが残っている。

「まあ、護身術程度にはね」

 さらっとシエロは答えるが、今の一撃は護身のレベルを超えていた。戦術として立派に通用するだろう。
 シエロは剣を振るうことを趣味としないと言っていたが、それは単に剣を使う必要がないという意味なのかもしれない。ゼーヴルムは探るような目でシエロを見るが、

「違うよ。俺は剣が使えない。ただそれだけの事だよ」

 彼はゼーヴルムの心を読んだように首を振った。

「ねえ、いい加減飽きてきたしそろそろお終いにしようよ。俺、眠くなってきちゃった」

 わざとらしく欠伸をかみ殺し、にっこりと微笑む。
 ふざけたことこの上ない提案だが、ゼーヴルムもまたそれに頷いた。

「よかろう。ならば、次でけりを着けてやる」

 ゼーヴルムは浅く呼吸を繰り返し、身体の隅々まで神経を行き渡らせた。
 その真剣な様子は先ほどの童謡を呟いていたシエロとどこか似ている。ゼーヴルムの調息もシエロのステップも精神統一という点では何ら変わりは無いのだろう。

―――エウ、ロア、サン…  

 鞘に収めた剣の柄を握り、ゼーヴルムは故郷の言葉で数をかぞえる。
 そしてそれが一定の数に達した時。まるでぎりぎりまで引き絞られた弓矢が放たれるように、ゼーヴルムは一気に駆け出した。
 
 
 
  一直線に自分に向かってくるゼーヴルムを、同じようにシエロは真っ直ぐ見つめていた。いつでもその攻撃を避けられるように、足をリズミカルに動かしている。
 だが次の一撃を放つべき剣はいまだ鞘に収まったままだ。そのことをシエロが訝しく思う隙も無く、目前まで迫ったゼーヴルムは勢いよく剣を引き抜いた。

(―――居合いっ…!?)

 鞘走った刃が風を切り、そのままの勢いでシエロを襲う。ぎりぎりまで隠されていた剣はひどく間合いが測りづらい。慌てて飛び退るシエロだがわずかに反応が遅れた。
 続けざまに襲い来る鋼の輝きをシエロはなんとか避けるが、最初の一撃にリズムを狂わされたのかそこには今までのような滑らかさはなかった。

「…っ」

 軽口を叩く余裕すら失い、シエロはただ避けることに専念する。なんとか態勢を立て直そうとするが、息つく暇もないゼーヴルムの剣勢がそれを許さない。
 ゼーヴルムが上段に刀身を振り抜いたとき、それを避けたシエロのバランスがわずかに崩れた。

「しまっ―――」

 ゼーヴルムはその隙を見逃さない。
 ただちに真っ直ぐ、シエロの顔面目掛けて白刃が突き出される。 神速の刃がシエロの顔をかすめた。切断されたシエロの淡い金髪がはらりと宙を舞う。

 必殺の一撃を文字通り間一髪で回避したシエロは、そのままゼーヴルムの間合いへと滑り込んだ。限りなく接近した両者。ゼーヴルムはとっさに剣を引くが間に合わない。
 シエロは手首を返すと、剣を握る彼の指の付け根に勢いよく枝の先を突き立てた。

 ―― 一度ゼーヴルムに断ち切られ、そのため逆に鋭い断面を得た枝先を。

「つっっ!」

 思いがけない痛みにギョッとしたゼーヴルムの動きがわずかに鈍った。それはまさに一瞬にも満たない刹那。 怯むゼーヴルムの手を、しなる枝がまるで鞭のように襲う 。

 彼に離すつもりは無かった。

 しかし剣はあまりにもあっさりと、持ち主の手よりこぼれ落ちたのである。
 
 
 
  
  
 
 
 
   ゼーヴルムは呆然と取り落とした自分の剣を見ていた。

「信じられん…」

 かすかに痺れるおのれの手と剣を交互に見る。

 理屈は分かる。
 一度シエロの蹴りを受けたため、普段よりわずかに握力が弱まっていたのだろう。そして枝を突き立てられ怯んだ隙に手を叩かれて剣が落ちた。

  突き詰めてしまえば何とも単純で、分かりやすい因果関係。
 だが、ゼーヴルムはそれでも、こうもあっさりと自分の手から剣が落ちたことが信じられなかった。
 一方からくも勝利したはずのシエロも、何気なく自分の頬を触り、げっと声を漏らす。

「うわあっ、血が出てるしっ」

 彼の長い指の先が朱の色に染まっていた。どうやら最後の一打が、完全に避けたつもりでわずかに彼の顔をかすめたらしい。

「うわ〜。ホントに俺、甘く見てたみたいだわ。かすめることも出来ないとか言っときながら思いっきりかすめてるし。何が恥ずかしいってこれまでの俺の言動が恥ずかしいかも」

 シエロは額を押さえ空を見上げた。

「俺、一撃でも喰らったら負けって宣言したんだよな。じゃあ、ゼーヴルム。お前の勝ちだわ」

 肩をすくめ、対戦相手を見る。あっけないほど簡単に負けを認めるシエロに、しかしゼーヴルムは苦々しい口調でゆっくりと首を振った。

「いいや。私は、武器を手放した。もしこれが実践なら、ここが戦場であったらこの時点で私の命運は尽きたことになる。これは完全に私の負けだ」

 戦場では剣を失うことはすなわち死を意味する。剣を握り続けることは、彼にとっては至極当然のこととして身体に刻まれていたはずだった。 その自分が剣を手放したということでゼーヴルムは自分の敗北に異論はなかった。だが、

「そう、そこなんだよね…」

 不意に声のトーンが変わる。ゼーヴルムはふと顔を上げた。

「問題はそこなんだ」

 目をすがめ、眉をひそめると言う何とも彼らしくない表情でシエロは苦笑していた。その顔は見様によっては悔しそうにも、今にも泣き出しそうにも見える。
 シエロは指先で持っていた枝をくるくるともてあそんでいたが、それを突然真っ二つに折った。

「俺はね、生き物を殺せないんだ」