第三章 正しい魔法の使い方 (1)

 


「ああ、チクショウ。本当にむかつくなぁ」

 どうあっても腹の虫が治まらないようで、バッツはさっきから歩きがてらにずっとぶつぶつ文句を唱えている。その後を涙目で後頭部を抑えるセルバが、まるで鳥のひなのようにぽてぽてとついて行く。
 ほわほわとした柔らかなセルバの白髪はまさに小鳥のようで、頭一つ分は小さいバッツの後をちょこちょこと付いて行くその姿は、おもちゃの鳥を親だと思い込んでしまった雛鳥にも似ている。傍から見ている分には何とも微笑ましい光景だ。
 もっとも彼に対するバッツの態度は、雛鳥どころか親の仇でも相手にしているかのようである。


 


 自分が行方知れずだった最後の巡礼者だ。
 
 このセルバの告白はかなりとんでもないものだったが、彼らは素直にそれを信じることにした。
 確かに集合地の『始まりの神殿』から遠く離れたこんな場所で出会ったことに疑いがない訳でもなかったが、八年に一度の巡礼なんて神殿の関係者でもない限り普通知ることでもないし、第一こんな巡礼に嘘をついてでも参加したがる理由も思いつかない。
 そんなわけで一行は存外あっさりとセルバを受け入れたのである。


 

「だいたいなぁ、何でお前はさっさと『始まりの神殿』に来なかったんだよ。おれたちがどれだけヤキモキしてたか分かってんのか」
「ごめんねぇ」

 ぐだぐだと、しかし至極道理にかなった嫌味を浴びせられ、セルバは困ったように首をかしげた。

「でもね、セルバもね、一応がんばったんだよ。頑張って『始まりの神殿』に行こうとしてたんだけど、全然着けなかったんだ」

 どれほど慎重に道を進んでも、気付けば有り得ないぐらい見当違いの方向をさ迷っている。東に進んでいたかと思えば西におり、北に向かっていたはずなのに何故か南にいる。これではさっぱり埒が明かない。
 仕方なく先に近場の樹大神殿を目指し、やっとこさヴィリディスの街にたどり着けはしたものの、それでも結局一人では建物に行き着くことすらできなかった。これはジェムも知ってのとおりだ。

 ジェムも『始まりの神殿』に行くまでの間、様々な困難に道を妨げられたという経緯があるため当時はこれは何の呪いかと頭を抱えたものだが、セルバもまた何かに呪われているかのような方向音痴っぷりである。


「だけどよくぞまあ、すれ違うことなく出会えたもんだよねぇ」

 セルバのほわほわの白髪を見ながらシエロはいっそ感慨深く呟いた。
 この広い世界で、たった一人の人間と出会える確率とはいったいいかほどの物だろう。それはほとんど奇跡にさえ近いようにジェムには感じられる。

「これも案外神様の加護ってもんかもね」
「神様、ですか?」

 ジェムは首を傾げる。シエロはおどけた仕種で肩をすくめた。

「そうさ。別に俺らはさほど信心深い人間の集まりって訳じゃないけどさ、腐っても巡礼使節な訳だし。神様も特別にサービスしてくれたんじゃないの?」
「おいおい、日に三回の礼拝を欠かさないおれをてめえらと十把一括りにすんじゃねぇよ。無礼だぞ」
「あ、悪い」

 正しくは少なくとも全員が信心深い訳じゃない巡礼使節、だ。
 バッツからクレームをつけられ、シエロは律儀に訂正を加えた。

「バッツ君は神様を信じているの?」

 ふいに、セルバが足を止めてバッツを見た。
 顔は飽くまでもにこやかであるものの、その瞳があまりにもまっすぐだった為ジェムは意味もなくどきりとする。
 よく考えれば巡礼者同士の会話としてこれほど妙な話題もないのだが、セルバの質問にバッツもまた真顔で答えた。

「イグニアス神はおれたち火の民に加護を与えてくださった。だったらそれに感謝して神に対して恥ずかしくない正しい行いをすることが、おれたちの義務であり礼儀だと思っている」

 文句があるのかと鋭い琥珀の目で睨まれ、セルバはゆっくりと首を振った。

「……ううん。信じる気持ちを否定することは誰にもできないよね」

 ただそれだけを答えると、セルバはおもむろに顔をあげゼーヴルムを振り返った。
 そこには先程までの違和感はなく、これまで通りの無邪気で明るいセルバだった。

「ところで、セルバたちはいったいどこに向かっているの?」
「とりあえずは、カルム湖に向かっているのだが……」

 返す彼の言葉はいささか歯切れが悪い。その理由を代弁するように、シエロは天を仰いでやれやれと呟いた。

「つうか、ここはどこなんだか」

 風魔鳥から逃げるため森に駆け込んだ巡礼者たちであったが、わき目も振らずただ逃げることに専念していたためすっかり道を見失っていた。いま自分たちがどこに向かっているのか、むしろどこから来たのかさえとんと見当がつかない。カルム湖に向かうどころか元の草原に戻ることさえ危うい状況である。

「セルバ、ずっとこの森の中を歩いてきたんだけど、」

 よかったら道案内しようか、という言葉を彼らは賢明にも断った。これ以上迷いようもない状況ではあったが、さすがにそこまで冒険精神に溢れる者はこの中にはいなかったのである。


 

「今日はもうここで野宿するしかないかなぁ」
「むしろそれ以外に方法はないだろうが」

 ゼーヴルムはやれやれとため息をついた。
 枝葉の間からのぞく空は赤く染まり、木陰には一足早く夜がおとずれている。

「うわ〜、最悪……」

 シエロがとぼけた様な表情で口元を引きつらせた。
 今日はカルム湖の観光宿に泊まるつもりだったのに、すっかり予定が狂ってしまった。

「ぼやくな。仕方があるまい」

 ゼーヴルムがシエロをたしなめるが、しかし彼もまた精彩を欠いている。
 料理担当のゼーヴルムの指示に従って彼らは焚き火用の枯れ枝を集めた。周囲は薄暗くなり始めてきたが、場所が場所である。さほど時間を掛けず十分な量の薪が集まった。

 そして程なくして煮炊きの煙が上がる。
 一応十分な量の食材を持ってはいるものの、いったいあとどれくらいで人里にたどり着けるか分からない。いざとなればこの森でウサギでも狩って新鮮な食材を得ることができないもなかったが、とりあえず水と食料の節約を心がけた結果、料理の達人ゼーヴルムの手に掛かっても本日の夕飯はだいぶ質素なものだった。

 そのおかげでだいぶ食事が早く済んでしまい、焚き火を囲み彼らは時間をもてあます。
 彼らは本を読んだり手慰みをしたりとそれぞれ時間を潰していたが、そんな中ふいにジェムがシエロに声をかけた。

「あの、シエロさん。シエロさんが昼間使われていた魔法は、いったいどのようなものなんですか」
「あっ、それはおれも知りたいぞ」

 つられて顔を上げたバッツが、好奇心たっぷりの視線を投げかける。興味があるのも確かだろうが、それ以上に彼は暇で暇でしょうがなかったのだろう。

「それって、草原で発動した風霊魔法だよね。すっごかったなぁ」

 セルバもきらきらとした憧れの眼差しをシエロに向けた。
 そしてうっとりと目を細める。

「セルバ、あれにビックリして森から出てきたんだよ」

 ならばシエロの精霊魔法がなければ巡礼者が全員揃うことはなかったのかもしれない。まさに不幸中の幸いである。

 シエロはよく精霊魔法を使うがそれはせいぜい防御結界を張る程度で、他の術を使っているところは見たことがない。
 それもあって、風魔鳥を止めるためシエロが使った魔法は彼らにとってかなり衝撃的なものだった。

 しかしそんな事情がなくとも、あの時彼が使った魔法は破格の物だろう。

 精霊魔法であれだけの効果を引き出すにはかなり高位の精霊を召喚しなければならず、それができるのは優秀な召喚師だけだ。並みの召喚師では不発に終わるか逆に精霊から攻撃されて終わりである。

 無言のゼーヴルムも興味がない訳ではないようで、そこかしこから興味津々と言った目を向けられたシエロは困ったように肩をすくめた。

「いやぁねー。すごいだろう、と自慢したい気持ちは満々なんだけど。実はアレ、正確に言うと精霊魔法じゃないんだ」

 シエロは懐から手のひらに握りこめるほど小さい何かを取り出した。

「種明かしはこれ。『風の聖玻璃』と言って、俺は略して『風玉』と呼んでいる」

 それは一見何の変哲もない硝子玉か水晶球に見える。もともとは透明のようだが、いまは焚き火の明かりを反射して赤く輝いていた。

「これには風素……、いわゆる風のエレメント(元素)がめいっぱい詰められていて、割れると中からすごい勢いで風が吹き出す。だから俺がしたことは、玉の封印解除と風向きの指定だけなんだな」

 シエロはピンと人差し指を立てると冗談めかしてそう言った。

「だけど、そんな物いったいどうしたんだ?」

 バッツが怪訝そうな顔でその『風玉』を見ている。

 ことさら魔法に疎いジェムだけではなく、他の皆もはじめて見たという顔でそれをまじまじと見ていることから、どうやらかなり珍しい術具のようだ。
 しかしシエロはひょいっと手を広げた。

「さあ?」
「さあって……」

 そんな無責任なこと言わないで欲しいと思うが、シエロはどこか楽しそうに首をかしげる。
「詳しい由来は俺もさっぱりだ。昔知り合いから貰っただけだからな。そいつがどうやって手に入れたか、あるいは自分で作ったのかどうかも知らないの」

 さらにシエロは悪戯めかした表情でにやりと笑った。

「実は実際に使ったのも今日が初めてでさ、いやあ、無事に発動して良かったよ。万が一だまされててこれが贋物だったりしたら、俺たち一巻の終わりだったねぇ」
「笑い事じゃねぇだろうっっ!」

 今更ながらに顔を青ざめさせたバッツが金切り声で叫ぶ。ジェムも思わず頬を引きつらせた。
 もしかすると今日自分たちが助かったのは、かなり幸運なことだったのかもしれない。
 思わず背中を冷や汗が伝った。

「まあまあ、過ぎた事をあれこれ言うのはやめようじゃないか。世の中終わり良ければすべて良し、と言うことで。ああ、そうだ。ジェム、なんだったらこれは君にあげようか。なに、もう効果は実証済みさ」

 ははっ、と笑ってシエロはそれをひょいっと投げる。
 そんなとんでもない物を気軽く扱わないでくれ、と慌てるが結局はなし崩しのまま押し付けられる。ジェムはそのまま途方に暮れてしまった。

 だいいちこんなもの持っていても仕方がないだろう。だって自分は、皆と戦うこともできやしないのだから無駄になってしまうに違いない。

 ジェムはすぐさま返そうとしたが、ふと何かを考えるようにその動きを止めた。

「使い方は後でちゃんと教えるし……、ん? どうかしたの」

 突然凍りついたように動かなくなったジェムを、シエロは不思議そうにうかがう。

「……あの、シエロさん」

 ジェムはおずおずと、何とも思い詰めたような表情でシエロを見やった。

「ぶしつけなんですが、一つお願いしたいことがあるんです。……その、聞いていただけますか」

 滅多にないジェムの頼みごとにシエロは僅かに驚いたような顔をしたが、すぐにどんっと胸を叩いた。

「いいともさ。このお兄さんに何でも言ってごらん」

 ジェムはその返事にあからさまにほっとしたような表情を浮かべた。そしてさっそくと言わんばかりにその内容を口にする。

「ぼくに、戦い方を教えて貰えませんか」

 胸を叩いた手もそのままに、シエロの笑みが固まった。