第四章 2、イア・ラ・ロド(1)

 


――世界のためにとか
責任を取るためだとか
そんな言葉で誤魔化すつもりは無い
 
彼らが悪かった
仕方がなかったなんて
意味をなさない言い訳だと知っている
 
ただ最も罪深きは
 
許されざることと知りながら
数多の命と引き換えに
唯一人を選んでしまった
 
 
   あさましい この心なのだ……


  
 

       ※  ※  ※


 

 ぐらりと体が傾いた拍子に目が覚めた。
 ここひと月の経験で、船の中だということが感覚として分かる。
 この分だと地上に戻ったときには、逆に揺れないことに違和感を覚えてしまいそうだ。

 ジェムはぼんやりとした頭のまま、ベッドに手をついて上半身を起こした。
 一方の手は額に当てて水気を払うように首を振る。

(……また、おかしな夢を見た)

 巡礼に出てから幾度となく繰り返し見た夢。

 しかし以前までの夢と違って、今度のそれは遥かに鮮明だった。

(もっとも罪深きは、この心――?)

 なんだかひどく胸の奥が痛むものの、やはりまったく身に覚えがない。不思議がって首を傾げていると、ジェムはいきなり上から頭を押さえつけられた。

「おかしら〜、お坊っちゃんが目を覚ましましたよ〜」

 ぎょっとして顔を上げようとするものの、やけに力強い手にいっこうに首が動かせない。
 ばたばたと腕を振って、なんとか抵抗していると、

「な〜に、苛めてんだよ。お前は」

 二種類の足音が近付いてくるのが分かった。頭を押さえつけていた手がふっと離れる。ジェムはほっとして顔を上げたのだが、その途端ぎょっと固まってしまった。

「よう。また会ったな。小僧」

 そこにいたのはあかがね色の髪を持つ、船の甲板で会った青年だった。

「あ、あなたは……」
「自分、どうなったか覚えてるか? どっかおかしなところとかは無いか?」

 青年は混乱するジェムを置き去りにして、立て続けに質問を放つ。
 ジェムは少し考え、混乱したまま素直に答えた。

「えっと、ぼくがここにいること?」
「違うだろうが」

 ぽかりと頭をはたかれる。ジェムは頭部を押さえて突っ伏した。

 自分は船の上から落ちたはず。
 運よく助けられたとしたらそれは自分の乗っていた船のはずだろうに、いま自分がいるのは見覚えのない船室だった。作りも何もまるきり違うから、マーテル号の一室だということは有り得ない。

「そうじゃなくて体調のことを聞いてるんだよ。頭痛かったり気分が悪かったりしないかって事だよ」

 青年はジェムの頭を掴んでぶんぶんと振る。その容赦ない扱いにジェムが目を回しかけた時、

「ダリア、それじゃあ余計体調を悪くさせますよ」

 部屋の中に入ってきたもう一人が声を掛けた。

「グレーン」

 振り回す腕が緩んだのでジェムは顔を上げた。そして思わず目を見張る。

 青年を止めたのは穏やかな微笑を浮かべる壮年の男だった。
 手入れの行き届いた口髭を撫ぜ苦笑する姿には貫禄があり、若い実業家や中流貴族といった風情がある。

 しかしジェムの目を引いたのは、彼の失われた右膝から下。足の代りとして体重を支えている木の義足だった。

「だってこいつがアホみてぇなこと抜かすから」
「だからってそんな乱暴をするものじゃないですよ」

 男性は優しくたしなめて、ジェムを覗き込む。

「うん。顔色は悪くないですね。吐き気など体調におかしなところは無いですか」

 自分を診るその様子はどことなくスティグマにも似ている。そう思った途端、ジェムははっと仲間たちの安否が気にかかった。

「か、身体は全然平気ですっ。それよりあの、船はっ。皆は、その……っ」
「マーテル号は無事ですよ」

 うまく言葉にできていないジェムの意を汲み取って、男性は丁寧に答えてくれた。

「海賊が逃げたあと、本物の巡視船が来たので被害は最小限に抑えられたようです。ギュミル諸島まで護衛する事になったようですよ」

「そうですか」

 ジェムはほっと息をついた。彼の言葉に僅かに違和感を覚えたものの、それでも仲間が無事ならばひとまずは安心だ。

「それじゃあこの船は巡視船ということになるんですか?」

 自分は海に落ちたあと巡視船に引き上げられて、だから今まで乗っていたマーテル号ではなくこの船で寝ていたのだろうか。
 しかし彼は穏やかな表情を浮かべたまま、首を振った。

「違います」
「えっ?」
「あなたを助けたのはここにいる彼です」

 あかがね色の髪を持つ青年は腕を組んでにやりと笑う。

「まぁ、女を助けて海に落ちるなんて根性があってオレはいいと思うぜ」

 ジェムはあの現場を見られていたことを知って、さっと顔を赤くした。
 彼女の身代わりに、と言ったら聞こえはいいけれどようはがむしゃらに突っ込んで返り討ちにあっただけだ。

「そう言えば、自己紹介がまだだったな。オレの名はダリア。ただし、オレを呼ぶときはリアか、さもなきゃ船長と呼べ」

 ジェムは思わずきょとんとする。口髭の男は苦笑して彼を指差した。

「この人は自分の名前が女みたいだと言って嫌っているんですよ。私はいい名だと思うんですけどね」
「ぼ、ぼくはジェム・リヴィングストーンです。あのそれよりも船長って……」

 最初は聞き間違いかと思った。しかしはきはきとした彼の言葉はまだしっかりと耳に残っている。

「ふぅん。ジェムか」

 ジェム・リヴィングストーン。彼は鼻を鳴らして名を呟くと、ぐいっとジェムの顎を掴んだ。きらめく碧い目で覗き込まれたジェムはぎょっとして顔を引きつらせる。

「ようこそ、オレ様の船に」

 彼はにやりと笑いジェムに向かって言った。その瞳にはただひたすらに楽しげな色が浮かんでいる。

「今からお前もこの船の一員――海賊の仲間だ」

 その言葉に、ジェムは真っ白に凍りついてしまったのであった。


 

 ジェムはもはや何に驚けばいいのか良く分からなくなった。
 何を言おうとしてもうまく言葉にならず、ただ呆けたように口をあけたり閉めたりする。

 ようやく出てきたのは、この一言だった。

「か、海賊船……?」
「そう。誇り高き海の貴族『イア・ラ・ロド(夜の魚)』って言えばオレたちのことだ」
「もしかすると、ぼくたちの船を襲ったのはあなたたちなんですか!?」

 ダリアはえっへんと胸を張っていたけれど、ジェムがそう訊ねた途端今度は烈火のごとく怒り出した。

「ちがうっ!! オレたちをあんな下品な奴らと一緒にするなっ」
「マーテル号が襲われていた時、煙弾を放って現われた船があったでしょう。あれがこの船です」

 グレーンと呼ばれていた口髭の男性は穏やかにそう訂正する。
 その言葉にジェムは間一髪で現われた一艘の船を思い出した。

「あれって、巡視船じゃなかったんだ」
「ええ。もっともあとから本物の巡視船を呼びましたので」

 あの色鮮やかな煙は、実は巡視船を呼ぶ信号弾なのだと言う。

「人が狙ってる船を横取りしようとするもんだから、腹いせに邪魔してやったぜ」
「ダリア」

 へんっと鼻を鳴らすダリアをグレーンがたしなめる。ジェムはひくりと頬を引きつらせた。
 どうやらこの船も由緒正しき海賊船であることには変わりないらしい。

「ああ、でも勘違いしないでくださいね。私たちは彼らのように無抵抗な人間まで傷つけるような真似はしません。紳士ですから」

 紳士の海賊というのもまたおかしなものだけれども、穏やかな物言いの彼が言うと妙に説得力があった。

「あの、ぼくこれからどうなるんでしょう」

 ダリアはこの船の一員になれというような事を言っていたけれど、自分は巡礼使節のメンバーだ。
 助けてもらったことに感謝はすれど、海賊になることはできやしない。

「あ、あの……?」

 ジェムが困り顔でおずおずと尋ねると、

「お前はオレの捕虜な」

 ダリアはあっさりと答えた。

「へっ!?」
「オレが拾ったんだからオレの捕虜だ。本当なら身代金と引き換えにするまで船底の船室に閉じ込めておくんだけど、それはあんまりだからな。見習い水夫としてここにおいてやるよ」

 くくっと笑いジェムの頭をぐしゃぐしゃと撫ぜる。グレーンも「あんまり苛めちゃかわいそうですよ」と言いながらも、こぼれる笑みを堪えきれないようだった。

「とりあえず分からないことがあったらそっちの下っ端に聞きな」

 ジェムはそう言われてようやくこの部屋にはもうひとりいることを思い出した。
 これまでほとんど気配をさせず部屋の隅に立っていた若者はくすりと笑って肩をすくめる。

「んでもって困ることがあったらグレーンに相談すること。オレから言うことは以上だ」
「あのっ、ちょっと待って下さいっ!」
「悪いけど船長って言うのは意外と忙しいモンでね。また後で様子見に来てやっからよ」
「まだあまり無理をしてはいけませんよ」

 ダリアと、それからグレーンまでもがあっさりと部屋から出て行ってしまった。

「……あの」

 伸ばした腕がもの悲しい。
 ぽつんと取り残されたジェムは訳が分からぬまま二人の後姿を眼で追うしかなかったのだった。