第四章 B 影と騎士 〜示唆〜(2)

 


「つまり、どういうことだったのだ」

 ゼーヴルムは慎重を要したかのごとく、厳かに、重々しい調子でパスマに問い掛ける。もっともそこには若干呆れたような声色も、当然のごとく混じっていた。

 人の心の機微に疎いパスマはそんなゼーヴルムの心中には欠片も気付かず、きつく握り締めた拳を小刻みに震わせ、苦々しい口調で一連の結末を口にした。

「書簡はもう一枚あった……」

 エカイユがアルシェの真意を悟らせるために渡した書簡。もちろん偽物などであるはずもないし、偽りの言葉を綴ったものでもない。
 それはまさしく紛れもないアルシェの本心だっただろう。

 しかし問題なのは、その書簡が全体のうちの半分でしかなかったということだ。

 半ば無理やり奪うように残りの部分に目を通したパスマは、思わず絶句せざるを得なかった。
 なにしろそのもう半分には、

『この者は非常に便利かつ役に立つ。貴殿の望みを叶えることにでも利用すればどうだろうか』

 という、あまりにもとんでもない補完の文句が付けられていたからだ。

 世話になったと書いたのと同じ手紙の中で、その恩人を利用する事を平然と示唆するのは、パスマの知る人間の行動理念からは大きくはずれている。
 もちろん一般的な観点から見てもこんなけったいな人間、滅多に居てたまるものではない。

 だがそんな事などつゆ知らぬパスマは、人間という存在が内包する矛盾なる不可解さについて余計頭を悩ます羽目になったという訳である。
 しかも似たもの同士であるところのエカイユは、そんなアルシェの提案を嬉々として受け入れた。

「すなわちエカイユが望んだ交換条件こそが、禁忌の品を取り扱おうとする下手人の正体を突きとめること。そしてこの品に関わる取引をいかなる方法を用いてでも妨害することだった」

 もちろんエカイユの元にはすでに動いている正規の部隊もあるのだろう。
 しかし大神官自らが動けば、それはどうしても(おおやけ)の行為となる。確実に相手を取り逃がさないためには、秘密裏に動くことができ、かつ小回りが利く遊撃手がいた方が確かに都合はいいのだ。

 パスマもそうした理屈はしかと理解できていたのだが、しかしそれでもやはり不服そうな表情が顔に浮かんでしまうのは、さすがに無理もないことだろう。だからゼーヴルムもまた、渡りに船とばかりにうまく利用されてしまったパスマの不憫さには思わず同情の念を抱くのであった。

 実際にはエカイユにはもうひとつ、効率や確実性などとはまた違ったところで、それを内々で突き止めたい大きな理由もあったのだが、それはまだパスマもゼーヴルムも、他の誰一人として知るところにはないのである。


 


「だから自分は、本来ならば関わりたくもなかったこんな件に、仕方なく関わっていると言うわけだ」

 事の次第を説明し終わり、むっつりとした顔のパスマは再びガラガラと木箱を崩しに掛かる。
 表面に埃の厚く積もったその荷に長らく使われた形跡がないのは一目瞭然だったのだが、まるで八つ当たりするかのように崩された箱は無造作に床を転がって行く。舞い上がった埃がもうもうと倉庫を満たした。
 そんな影の姿にゼーヴルムは小さく息をつく。

「そんなに嫌ならば関わるのを止めればよかろうに」

 黙々と憂さを晴らしていた影は、じろりと彼に鋭い視線を向けた。だがゼーヴルムは構わず続ける。

「何もそうすることだけが唯一の道でもあるまい」
「自分は御方様より五大神殿の今の内実を探るよう申し付かっている。それに比べれば己が身の扱いは極めて微少な問題に過ぎない。自分にとっては常に御方様の命を果たすことが最優先だ」

 パスマは毅然と答える。その言葉にゼーヴルムはわずかに眉をひそめた。

 パスマはもちろんゼーヴルムに全てを語った訳ではない。
 当然自分の本当の雇い主が何者なのか。そして彼らイルズィオーンの民がその名に持つ意味についてなどは一切明かしていない。
 しかしゼーヴルムはこの影の中に、何かただひとつの存在に盲目的に従う者たちの痛ましいほどの頑なさを感じ取っていた。

「……まぁ、貴君の気持ちも分からないではないがな」

 ゼーヴルムは苦笑を漏らす。

「だが覚えておくがいい。常にその目に目的しか映すことのない者は、いざ想定外の事態に飛び込んだ時には存外もろいぞ」
「くだらない。要はそんな危機的状況に陥らなければ良いだけの話だ」

 パスマはせせら笑うように鼻を鳴らす。ゼーヴルムは何も言わず、わずかに目を眇めた。

「そう考えるならば、――それもいいだろう」

 やがて零れるため息混じりの声音には、どこか相憐れむような色が混じっている。独白染みたその言葉を、しかしパスマが胸に留めることはなかった。今は、まだ――。


 

 

「それにしても貴殿はいったい何をやっているのだ」

 ゼーヴルムは怪訝そうな表情でパスマにたずねた。

「そんな所を探ったところで何も出て来はしないだろうに」

 先程からずっとがらがらと崩され続けている木箱の山に、ゼーヴルムは呆れたような眼差しを向ける。
 その木箱は不埒者たちがここに根城を構える前からある物らしく、ここ数ヶ月、あるいは数年の間、開閉された様子が無いのは明らかだ。表面は厚く埃を被っているうえ、下方にある物に至っては底の木板が腐っている。たぶん中身も然りだろう。
 しかしパスマは鼻を鳴らした。

「何もめくら滅法に探している訳ではない。見当はつけている」
「どういうことだ?」
「確かに箱の中身には触れられた様子はまったくない。だが一部の箱には埃に真新しい指の跡が残っていたし、床には引きずって動かしたらしき痕跡が残っている」

 それを聞いたゼーヴルムはぎょっと足元を見る。床には確かに重たい物で擦られた様な跡があった。

「さらに屋根に昇った時に天窓を見つけた。周囲には同じ種類の鳥の羽が大量に散っていた。すなわち――、」
「伝書鳥かっ」

 ゼーヴルムは息を呑み、パスマに先んずるように木箱の山を崩しに掛かった。
 二人の手にかかり、さほど時間をおかず木箱の山は解体される。やがて彼らの前に現れたのは短い止まり木を配したわずかな空間だった。その周囲には同色の羽が何枚も散っている。

「やはりな……。ここに潜んでいた輩は鳥を伝達の手段に使っていたようだ」

 パスマは身をかがめて鳥の羽を拾う。薄暗い倉庫の中では判別は付けがたいが、白か灰色か、南のこの諸島では珍しくその羽は大層淡い色をしていた。

 奴らが隠したかったのは明らかにこれだろう。止まり木は床に固定され、短時間では始末はできない。だからその代わりに木箱で念入りに隠そうとしたようである。

 しかしパスマは小さくため息をつき、首を振った。

「だがこれは有力な情報となりそうな物ではないな。ギュミル諸島においては伝書鳥はけして珍しいものではないと聞く」

 むしろギュミル諸島では最も一般的な伝達の手段のひとつであると言っても良いだろう。何しろ海を挟んだ他の島へ連絡が必要な時には、人間がわざわざ櫂を漕ぐよりも翼を持つ鳥を用いるのが一番早いし確実なのだ。

 ゼーヴルムも同様に羽の一枚を手に取った。だが彼はそこに何らかの解が記されているかのような熱心さで、それをじっと見つめている。

「――いや、そんなことはない。この羽一枚でも分かることはある」

 ゼーヴルムは顔をあげるとはっきりと言った。

「私に当てがある。運が良ければ奴らの行方も明らかになるだろう。ここはひとつ、任せては貰えまいか」

 その言葉にパスマはじっと彼を注視した。ゼーヴルムからは猜疑を促すような素振りは一切見られなかったが、それでもパスマはしばらく無言で彼に見いる。やがて影は小さく息を吐いた。

「……是。いいだろう。この件はお前に預ける。何か分かったら知らせてくれ」

 パスマはひとつ頷くと、それきり用は済んだとばかりに倉庫を去ろうとする。そのあまりに唐突さにゼーヴルムは思わず目を剥いた。

「待て、いったいどこに行く?」
「自分には他にやることがある」

 とっさに引き止めるゼーヴルムを、パスマは煩わしそうに一瞥する。

「エカイユの出した交換条件は他にもうひとつある。自分はそちらに関しても情報を集めなければならない」
「それは、どういったものだ」

 パスマは口を閉ざすが、ゼーヴルムは頑として引こうとはしなかった。
 このままでは埒が明かない。別段秘さなければならないような用件でも取引に使えるようなものでもなかったので、パスマは極めてしぶしぶとその内容を口にした。

 だがその交換条件の中身を聞いた途端、ゼーヴルムはどっと疲れたようにため息をつき肩を落としたのである。

「……行く必要はない。私はその案件についても貴殿に手を貸せる。……だから情報のやり取りだけではなく、もう少し私に手を貸して貰えないか」

 真偽を計るように黙ってゼーヴルムを見ていたパスマだったが、やがて小さく息を吐き静かに呟いた。

「自分はここ最近、新しい言葉を知った」
「どういった言葉だ」
「毒を喰らわば皿まで」

 ある種潔くもあるその言葉に、ゼーヴルムは思わず苦笑した。

「……毒も皿も食うな。あれは不味い。どうせなら私が飛びっきりの料理を作ってやる」

 そう言ってゼーヴルムは羽を掴む手をしかと握ると、力強く次の目的地へと足を踏み出した。