「つまり、どういうことだったのだ」 ゼーヴルムは慎重を要したかのごとく、厳かに、重々しい調子でパスマに問い掛ける。もっともそこには若干呆れたような声色も、当然のごとく混じっていた。 人の心の機微に疎いパスマはそんなゼーヴルムの心中には欠片も気付かず、きつく握り締めた拳を小刻みに震わせ、苦々しい口調で一連の結末を口にした。 「書簡はもう一枚あった……」 エカイユがアルシェの真意を悟らせるために渡した書簡。もちろん偽物などであるはずもないし、偽りの言葉を綴ったものでもない。
しかし問題なのは、その書簡が全体のうちの半分でしかなかったということだ。 半ば無理やり奪うように残りの部分に目を通したパスマは、思わず絶句せざるを得なかった。
『この者は非常に便利かつ役に立つ。貴殿の望みを叶えることにでも利用すればどうだろうか』 という、あまりにもとんでもない補完の文句が付けられていたからだ。 世話になったと書いたのと同じ手紙の中で、その恩人を利用する事を平然と示唆するのは、パスマの知る人間の行動理念からは大きくはずれている。
だがそんな事などつゆ知らぬパスマは、人間という存在が内包する矛盾なる不可解さについて余計頭を悩ます羽目になったという訳である。
「すなわちエカイユが望んだ交換条件こそが、禁忌の品を取り扱おうとする下手人の正体を突きとめること。そしてこの品に関わる取引をいかなる方法を用いてでも妨害することだった」 もちろんエカイユの元にはすでに動いている正規の部隊もあるのだろう。
パスマもそうした理屈はしかと理解できていたのだが、しかしそれでもやはり不服そうな表情が顔に浮かんでしまうのは、さすがに無理もないことだろう。だからゼーヴルムもまた、渡りに船とばかりにうまく利用されてしまったパスマの不憫さには思わず同情の念を抱くのであった。 実際にはエカイユにはもうひとつ、効率や確実性などとはまた違ったところで、それを内々で突き止めたい大きな理由もあったのだが、それはまだパスマもゼーヴルムも、他の誰一人として知るところにはないのである。
事の次第を説明し終わり、むっつりとした顔のパスマは再びガラガラと木箱を崩しに掛かる。
「そんなに嫌ならば関わるのを止めればよかろうに」 黙々と憂さを晴らしていた影は、じろりと彼に鋭い視線を向けた。だがゼーヴルムは構わず続ける。 「何もそうすることだけが唯一の道でもあるまい」
パスマは毅然と答える。その言葉にゼーヴルムはわずかに眉をひそめた。 パスマはもちろんゼーヴルムに全てを語った訳ではない。
「……まぁ、貴君の気持ちも分からないではないがな」 ゼーヴルムは苦笑を漏らす。 「だが覚えておくがいい。常にその目に目的しか映すことのない者は、いざ想定外の事態に飛び込んだ時には存外もろいぞ」
パスマはせせら笑うように鼻を鳴らす。ゼーヴルムは何も言わず、わずかに目を眇めた。 「そう考えるならば、――それもいいだろう」 やがて零れるため息混じりの声音には、どこか相憐れむような色が混じっている。独白染みたその言葉を、しかしパスマが胸に留めることはなかった。今は、まだ――。
「それにしても貴殿はいったい何をやっているのだ」 ゼーヴルムは怪訝そうな表情でパスマにたずねた。 「そんな所を探ったところで何も出て来はしないだろうに」 先程からずっとがらがらと崩され続けている木箱の山に、ゼーヴルムは呆れたような眼差しを向ける。
「何もめくら滅法に探している訳ではない。見当はつけている」
それを聞いたゼーヴルムはぎょっと足元を見る。床には確かに重たい物で擦られた様な跡があった。 「さらに屋根に昇った時に天窓を見つけた。周囲には同じ種類の鳥の羽が大量に散っていた。すなわち――、」
ゼーヴルムは息を呑み、パスマに先んずるように木箱の山を崩しに掛かった。
「やはりな……。ここに潜んでいた輩は鳥を伝達の手段に使っていたようだ」 パスマは身をかがめて鳥の羽を拾う。薄暗い倉庫の中では判別は付けがたいが、白か灰色か、南のこの諸島では珍しくその羽は大層淡い色をしていた。 奴らが隠したかったのは明らかにこれだろう。止まり木は床に固定され、短時間では始末はできない。だからその代わりに木箱で念入りに隠そうとしたようである。 しかしパスマは小さくため息をつき、首を振った。 「だがこれは有力な情報となりそうな物ではないな。ギュミル諸島においては伝書鳥はけして珍しいものではないと聞く」 むしろギュミル諸島では最も一般的な伝達の手段のひとつであると言っても良いだろう。何しろ海を挟んだ他の島へ連絡が必要な時には、人間がわざわざ櫂を漕ぐよりも翼を持つ鳥を用いるのが一番早いし確実なのだ。 ゼーヴルムも同様に羽の一枚を手に取った。だが彼はそこに何らかの解が記されているかのような熱心さで、それをじっと見つめている。 「――いや、そんなことはない。この羽一枚でも分かることはある」 ゼーヴルムは顔をあげるとはっきりと言った。 「私に当てがある。運が良ければ奴らの行方も明らかになるだろう。ここはひとつ、任せては貰えまいか」 その言葉にパスマはじっと彼を注視した。ゼーヴルムからは猜疑を促すような素振りは一切見られなかったが、それでもパスマはしばらく無言で彼に見いる。やがて影は小さく息を吐いた。 「……是。いいだろう。この件はお前に預ける。何か分かったら知らせてくれ」 パスマはひとつ頷くと、それきり用は済んだとばかりに倉庫を去ろうとする。そのあまりに唐突さにゼーヴルムは思わず目を剥いた。 「待て、いったいどこに行く?」
とっさに引き止めるゼーヴルムを、パスマは煩わしそうに一瞥する。 「エカイユの出した交換条件は他にもうひとつある。自分はそちらに関しても情報を集めなければならない」
パスマは口を閉ざすが、ゼーヴルムは頑として引こうとはしなかった。
だがその交換条件の中身を聞いた途端、ゼーヴルムはどっと疲れたようにため息をつき肩を落としたのである。 「……行く必要はない。私はその案件についても貴殿に手を貸せる。……だから情報のやり取りだけではなく、もう少し私に手を貸して貰えないか」 真偽を計るように黙ってゼーヴルムを見ていたパスマだったが、やがて小さく息を吐き静かに呟いた。 「自分はここ最近、新しい言葉を知った」
ある種潔くもあるその言葉に、ゼーヴルムは思わず苦笑した。 「……毒も皿も食うな。あれは不味い。どうせなら私が飛びっきりの料理を作ってやる」 そう言ってゼーヴルムは羽を掴む手をしかと握ると、力強く次の目的地へと足を踏み出した。
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