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         廊下をまっすぐ。階段を上。階段を下。  さてどちらを選ぶか。
         「よしっ、下だっ」
         耳をかすめたささやき声にオレは思わずたたらを踏む。 「うおっ、あぶねぇ」 素で見当違いの方向に向かうところだった。 「あんがとなっ」  姿は見せないその声に礼を言い、オレは階段を駆け上がる。
         
         奴は半分物置と化していた最上階の踊り場にちんまりと腰を下ろしていた。 「よおっ」 膝を抱え俯いていた奴はオレが声をかけるとはっと頭を上げ、そして泣きそうな顔で金切り声を上げた。 「な、なんでついてくるんですかっ」  さぞや刺々しい文句を盛大に言われることを予想していたオレは、推測が外れたことに首をかしげた。最初の印象ではもっとつんけんした嫌味な感じだったのだが。
         「別に苛めたりしないからさ、そうびくびくしないで…」
          そう叫び、顔をくしゃくしゃに歪め自分を自分で抱きしめる。
         「………」  これは予想外の展開。
         いまいち訳の分かっていないオレはぽりぽりと頭をかく。 「…、あのさぁ。あんた何をそんなに怖がってんの」  率直なオレの疑問に奴は当然何も答えなかった。
         「あなたは、ぼくの噂を聞いてないんですか」
          これは嘘だ。
         しかしオレは奴の口からはっきりと真実を聞きたかった。 「ぼくといると不幸になります」
          あえて挑むように言ってみる。
         「―――――です…」
         ぴくり、とオレの眉が動いた。 「へえ…」 にんまりと口の端を吊り上げてみせる。 「そりゃあ穏やかじゃねぇな。実際そんな目に合った奴がいるのかい」
         学院から消えたという奴らのことか。  何かを堪えるように堅く喰いしばった唇。震える指先を見るに、どうやらそれはただの噂や気の迷いといったものとは違うらしい。
         「だから、だからぼくには構わないでいて下さい。そっとしておいて下さい。それが、あなたの身の為です」  奴はそう言って再び俯いた。
          
          オレはにやりと唇を歪めた。
         こちらを見ようともしない奴に向かって一歩近づいた時、オレの耳元で再び空気が揺らいだ。 (若さま…) 俺は顔をしかめると鬱陶しげに手を払う。 別にお目付け役というわけでもないんだから、人の交友関係にまで口出しすんなよ。 だがちょうど同時に顔をあげた奴はどうも自分に対する仕種だと勘違いしたらしく、さらに怯えた表情で俯いてしまった。 …しくじった。 とにかくオレは気を取り直すと、あらためて奴に近付いた。 「あんさぁ、」 奴はおずおずとオレを見上げる。 「悪いけどそれじゃあオレを諦めさせる事はできないぜ」
          奴はぎょっと目を見張った。まあ、普通はそうだろう。
         「いや、聞いてたけどオレはかなりの天邪鬼でね。そう言われると逆に構いたくなるんだな」 オレは不敵に笑って見せる。 「それに、オレは一目見てあんたを気に入っちまったんだ」 はっと顔をあげた奴の目に喜色が浮かんだが、それはすぐに絶望に取って代わられた。 「やっ…」 奴は頭を両手で掴みぶんぶんと振る。 「やめてくださいやめてくださいっ。ぼくになんて構わないでください。放っておいて下さいよおおっ」  奴は一瞬でも喜んだ自分を恥じるように、あるいは自身をすべて否定するように、絶叫する。
         「駄目なんです。ぼくになんて関わっちゃいけないんです。ぼくは不幸の元だから、ぼくがいると迷惑が掛かるから…」
          あえて悲しげな響きを持たせた言葉に見事引っかかった奴は、顔をあげると慌てて首を振る。
         「じゃあ話は簡単だな。あんたのせいでオレが傷つかなきゃいい」
         (あまり無茶は仰らないで下さい)  ふと、踊り場の隅の影が滲んだ。
         「無茶って、あんたオレの護衛だろう。そんなに気弱でどうすんだよ」 肩をすくめるオレに、黒装束に身を包む小柄な男は無愛想に返答する。 (護衛対象が非協力的な場合に限り、こちらの処理能力に限界が生じる場合があります) 「限界って。いい加減な奴だなぁ、おい…。あ、こいつがオレの護衛の―――っっ」  振り返ったオレは思わず息を呑んだ。
         「い、いや…、やめ。うわ、う、ああぁぁあぁ―――っっ」
          オレは慌てて駆け寄った。
         「ご、ごごめんなさいっ、許してもうやめて、うああっっ」  もう自分が何を言っているのかも分かってないだろう。
         「ちょっと姿隠してろ。たぶんお前が原因だ」
          黒い姿が消え去ったのを確認して、オレは奴の面を引っ叩いた。
         「落ち着け、ジェム。ここにゃお前を傷付ける奴はどこにもいない」 名前を呼び数度肩を揺さぶると、どうにか奴の目の焦点が合ってきた。 「―――あ、あの…」
         どうにか奴が落ち着いたのを見て、オレはほっと息をついた。 「とりあえず場所帰るぞ。人が来る」 オレはジェムの手を引き、踊り場を離れた。  
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