番外編 「遥かなる友へ」(3)

 

 オレはちょっと辺りを見回して、図書室脇の一部屋、書庫に足を踏み入れた。

 ただでさえ人の出入りの少ないこの部屋は、本来なら授業中という時間のこともあってまるで世界から取り残されたかのように静まり返っている。

 八人がけの机の周りに無造作に並べられた椅子の一つにジェムを座らせ、オレは机に直接尻を乗せる。
 恐縮したように背を丸め縮こまる奴を見ながら、オレは小さくため息をついた。

 まったくとんでもない失敗をやらかしちまったもんだ。

 もちろんそれはオレ自身のことであって、オレは気遣いがてら奴に声を掛けた。

「まあ、繰り返しになるが―――、とにかく悪かったな。びっくりさせちまったようだ」
「いえ、ぼくの方こそすみませんでした。取り乱してしまって…」

 奴はぎくしゃくと首を振る。しかしその指先はまだ先ほどの混乱のあとを残したように、かすかに震えていた。

「あ、あの…」

 躊躇うように視線をあちこちにさまよわせながら、奴はおずおずとオレのほうを見た。

「先ほどの人は、いったい…」
「あれはオレの護衛」

 オレはふと思いついて、慎重に奴にたずねる。

「噛み付いたりしないのはオレが保障する。姿を見せていいか」
「え。あ、…はい」

 奴は一瞬ためらったが、それでもどうにか首を縦に振った。

「カーム」

 オレは忠実な護衛に呼び掛けた。

「ゆっくり普通に出てこい」

(…、御意)

 とまどったような返答の後、とんとんと書庫の扉がノックされる。

「入れ」

 扉がゆっくりと開き、黒装束に覆面という見るからに怪しい男がゆっくりと入ってきた。
 しかしその様子はなんだかとっても滑稽で、いたたまれない感じである。気力と玄人意識がなんとか奴を支えているようだ。

 何か非常に申し訳ないことをしたような気になってくるが、まあそれはそれということで。

「…っ」

 こいつを目に止めた途端、ジェムがびくりと身をすくませた。顔もさっきほどではないが青ざめている。どうやら身体が自然に反応してしまうらしい。

 オレは手を伸ばすと奴の肩を支えてやった。
 たぶん、いまは人の熱を感じていた方がいいだろう。

「まあまあの登場の仕方だな」

 オレは場の空気を和らげる為に、気安く黒尽くめを賞賛する。それに合わせたように奴はオレの前に膝を着いた。

「こいつはイルズィオーンのラミア。…ようするに、うちの爺が雇った護衛だ。学院に入るのに丸腰じゃ物騒だって無理やり押し付けられた」

 まあ、平和な学院の生活の中じゃこいつが活躍する機会はそうそうないとは思うが。

「イルズィオーンの、ラミア…?」

 ジェムはオレの言葉を復唱する。

「そう。イルズィオーンという組織の中で、ラミアという部門にいるらしい。詳しいことは教えてくれないんで良く分からないけどな。けち臭いこいつは名前すらも教えてくれないから、オレは勝手に凪――、カームと呼んでる」

(名前は教えないのではなく、もとより無いのです)

 護衛は生真面目に訂正を入れてきた。

「ああ、そうだったな」

 オレは深々とため息をつく。いちいち煩い奴だ。

「あ、あの…」

 思いがけないことに、ジェムは自分からカームに声を掛けた。慣れたのかと思いきや、その身体が緊張から痛々しいくらいに強張っている。
 ふいにジェムの手が伸びてきてオレの裾をぎゅっとつかんだ。布が引き攣るくらい握り締めるその指もまた、細かく震えている。

「顔を、見せて貰えませんか…?」

 融通の利かない護衛は何をするよりも先に、俺に視線を向ける。

「いいから言うとおりにしてやれよ」

 オレが呆れてそういうと、カームはようやく覆面をはずした。
 黒い頭巾と覆面の下から出てきたのは線の細い面と黒髪、黒目。どちらにしても奴を彩るのは闇の色のほか無いようだ。

 ジェムは遠慮がちに、しかし食い入るように奴の顔を見る。

「あ…あの、ありがとうございます」

 ジェムはほっと息をつくと、ようやくオレの裾をつかんでいた手を離した。

「で、どうだ。安心したか」
「あ、はい…」

 まだ表情は硬く怯えが残っていたが、痛々しい緊張はその身体から抜けていた。
 まあ、どんな事情があるのかは分からんが警戒心を解いてくれたんならそれでいい。こんな護衛の所為で俺まで怯えられるようではたまったもんじゃないからな。

「とにかく、お前が何をそんなに怖がっているのかは知らないが、少なくともオレがお前を傷つけることも、お前のせいでオレが傷付くということもありえないぞ」

 オレはカームを顎でしゃくった。

「こいつはかなり優秀な方らしくてな、オレを護るためなら他の都合なんか真っ向から無視する勢いだ。むしろいざとなればオレの言うことさえまともに取り合わないからやり難くてしょうがない」

 事実これまでの例を思い出すと腹が立つやら呆れるやら。精神衛生に悪いからあまり考えないようにしている。
 だがそれはわざわざ説明するまでも無いようで、ジェムはそれに当然のようにうなずいた。

「そんなわけで、お前が今まで言った理由ではオレを遠ざけるには役不足だ。さあ、他に何か言い足りないことでもあるか?」

 胸を張って堂々とたずねたオレに、ジェムはおずおずと聞いてきた。

「…あ、あの。それじゃあようするに、君はぼくにいったいどうして欲しいんですか」
「…」

 そうだった。

 とりあえず、一番最初に言っておかなきゃいけないことを見事言い忘れていたらしい。
 オレは自分の間抜けさ加減にいっそ感服しながら、ぽりぽりと頭をかく。

「まあ、それは何と言うかな…」

 改めて言うのも気恥ずかしいが、まあしょうがないだろう。頬が熱っぽいが、無視する。

「あんたが気に入ったから、友達になりたいんだが―――、」

 奴はオレに負けないぐらい顔を赤くした。
 こっちも一世一代の告白だ。それ位の反応をしてくれないと言った甲斐がない。

「あの、でもぼくと一緒にいると迷惑が掛かる…、」
「邪魔になったり迷惑だと思ったらこっちから勝手に縁を切るから心配するな。むしろオレはかなり身勝手な人間だからな。それを許容してくれる相手じゃないと友達にはなれねぇんだわ」

 自分でもかなり突拍子もないことを言っているのは自覚しているが、それはオレの性格というか生まれ付いての性質だから直しようがない。
 さてこの天才少年はいったいどう答えるのかと興味を持ちながら見ていると、奴はしばらく悩んでいたがおもむろに俯き、ため息をついた。

「あの、ごめんなさい。やっぱりぼく、しばらくは誰とも友達になりたいとは思えないです」
「そっか」

 半分予想していたことで、おれは肩をすくめて苦笑する。しかしやつは戸惑ったように指先をいじりながらつぶやいた。

「でも、もし良かったらただの級友としてはどうか仲良くしてください。それでいつか、いつの日かぼくが全部の事情をあなたに話していいと思ったときには、改めて友達になってもらえますか」

 思い切って上げた顔。はしばみ色の目がすがるようにオレを見ている。

 ―――それは今はまだ遥かに遠い、でも確実にそこに存在する希望を仰ぎ見るような目だ。

 …つうか、これは卑怯だろう。こんな風に言われて断れる奴がいるとは思えない。
 オレはドギマギしながらもせいぜい強がって、腕を組み言ってやった。

「いいぜ。じゃあオレからはお前に何も聞かないでおいてやるよ。いつかお前が焦れ切って、自分から『聞いて下さい』と頭を下げるその時までな」

 それまでオレとお前は『ただの』級友だ。
 そう言うと奴はぱっと顔を輝かせた。なんか感情がとても分かりやすい奴だな。

「じゃあ話はこれで終わりだ。今まで付き合わせて悪かったな。さっさと教室に戻りな」

 オレが手を振ると、奴はなぜか戸惑ったような顔でこちらを見ている。

「あの、君は…?」
「オレは腹が痛くなったということにして今日はもうサボることにする」
「あ、そうですか…」

 奴は釈然としないような顔をしていたが、素直に教室に帰っていった。

(若さま…)

 いつの間にか姿を消していた護衛が、耳元の空気を震わせる。
 つうかこの話し方は耳朶に直接囁かれているようで気色が悪いんだが。

(良いのですか)

「何がさ」

 カームの声に怪訝な色が混じる。

(あの者を教室に連れ戻すために来たのではないのですか)
「そうだけど?」

(若さまは教室に戻らなくてよろしいのですか?)
「なんで? それとこれとは別問題じゃん」

(……)

 カームは呆れたようにため息をついた。何か腹の立つ護衛だな。

(若さま、自分は反対です)

 ふと、目の前の暗がりから滲み出るようにカームが姿を現した。奴はオレの前に膝を着き頭を垂れる。

(あの者と付き合うのはお止めください。あの者からは不穏な空気を感じます。御身に害をなすやも―――、)

「カーム」

 オレの声に護衛は口を閉ざす。

「オレはな、自分のダチは自分で決めることにしている。横から口を出してくんな」
(しかし―――、)

「くどいっ。オレがダチになるって決めたんだ」

(……御意)

 文句あるかと睨みつけると、カームはしぶしぶとうなずいて姿を消した。

「まったく」

 俺は大きくため息をつく。

「ああ…、そういえばあいつ、結局オレの名前も聞きゃしなかったな」

 そう呟いて天井を仰ぎ見る。
 大見得を切って友達になるとは言ったものの、先はまだまだ長そうだ。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 ―――結局。
 あれから三年近くが経ったが、オレが奴から何も聞かされずじまいだということに変化はない。

 馬鹿正直にせっつく事さえしないオレもなかなか気が長いと感心するが、奴も負けじと頑固なもんだ。

 薄ら寒い書庫のテーブルに大の字に寝転がり、オレはため息をつく。

「カーム、いるか」

(御前に)

 奴がテーブルの足元に姿を現したのが気配で分かった。

「ジェムから手紙が届いたぞ」

(……、御意)

 ぴらりと便箋を振って見せると、妙にためらいがちな返事が返ってくる。オレは思わず吹き出した。

「お前は奴が苦手だからなぁ」

 別にいがみ合っていると言う訳ではないのだが、妙に相性の悪い二人である。

 あの後もオレたちにはけっこう色々なことがあった。
 だから級友付合いとは言えけっこう仲良くなれたと思っているのに、なんとも水臭い奴だとあらためて思う。

 そうこうしている内に、奴は巡礼制度とかいうので学院からいなくなっちまったから、オレはまだまだしばらくは級友のままだろう。

(しかもヘンなところで律儀だよな)

 何を考えているのかは知らないが、奴はどうやら友達相手でなきゃ名前も呼んじゃいけないと勘違いしているらしい。同じ授業を受けているんだから名を知らないはずはないのに、宛先はあくまで寮の部屋番号。
 字面は細かいものの丁寧に書かれた便箋を顔の前に掲げながら苦笑する。

 だが、どうやら奴も元気にやっているようだ。

 楽しげな、それでいて落ち着いた文体は学院にいた頃の奴では書けないもの。
 きっと旅先でいい人間に出会えたに違いない。
 オレはむしろそのことにほっとする。

 この分では、旅から戻ったころにはようやく友達になれるかもしれないぞ。

「早く帰って来いよ。みやげ話も期待しているからな」

 今まさに、どこかの空の下にでもいるだろう相手に呼びかける。
 旅の最中の奴にオレからは手紙を送れない。だけど返事を考える分には個人の自由だ。

 オレは手紙の内容を思い返しながら目を瞑る。
 書き出しはもちろんこうしよう。

 

 ―――オレの、遥かなる友へ、と…。


 
 

【了】