≪黒薔薇狂詩曲≫

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07 西から来た獣

 

「いやぁ、声掛けそびれたら、つい現れるタイミングも逃しちまってさ。怖がらせちまったかい」
 彼は金の髪をかき上げながら苦笑する。顔の造作は日本人だけど彫りが深い所為か、上背がだいぶある所為か、金髪が違和感なく似合っている。サングラスも相変わらずだ。
「あの女の人は今日はいないのかしら」
 あたしはすっと後ろに下がった。彼の態度はいっそ朗らかで、大柄な体躯の割には人を威圧するところは無い。しかしあたしは油断することなく彼と対峙した。
「ああ、この間の女? 別に付き合ってるわけじゃないし、飯を食わせて貰っただけだからその後は会ってないよ」
 彼はそう言って肩をすくめる。
「なに? 気になる? オレに惚れちゃった?」
「だれが惚れたのよ、誰が」
 あたしは毒づきながら相手を睨みつける。彼のその言動は調子良く、まさに軽薄な態度そのものだ。
 正直言ってあたしはそういう人種はあまり好きじゃない。個人的には誠実かつ堅実な男性がタイプなのだ。
「えぇ!? オレと君の仲じゃない」
「なんでそこで驚くのよ……。悪いけど、あたしあなたとはほとんど初対面だと思うんだけど」
 実際この男とは以前道ですれ違っただけ。
 袖振り合うも他生の縁とは言え、現代の常識に照らし合わせてみれば、これほどまで馴れ馴れしくされる言われは無いはずだ。
「君はそうだろうけど、オレは君のことよぉく知ってるんだぜ」
 意味深に彼はにんまりと笑う。尖った八重歯が口の端に覗いて見えた。
「……そうね、あたしも確かに覚えてるわ。あなたがあたしに向かって『黒鬼によろしく』って言っていたこと――、」
 あたしは挑むように、この不審な男を睨みつける。
 誰かが自分の後をつけている。それに気付いたとき最初に思い浮かんだ相手は自分を欲しがっているという親戚――四ノ宮の一族の誰かだろうと言うものだった。
 そして彼の姿を見てそれはほとんど確証に変わった。彼が以前漏らしたこの名称は、四ノ宮の関係者でなければ到底知りようもないことだったからだ。
 あたしはそれを確かめるために、さらに一歩核心に踏み込もうと相手に尋ねた。
「それは『常盤闇の鬼神』と同じようにあいつの呼び名のひとつなのかしら。あの魔性、ルードヴィ……」
「いや、待て待て待てっ。ここであいつの名を呼んだらまずいって」
 ぐいっと口が塞がれた。あたしはぎょっとして顔をあげる。密着と言っていいほど近い距離に見上げるほどの体躯があった。
 いったいいつの間にあたしに近付いたのか、まったくと言っていいほど分からなかった。そしてさらに、あたしははっと気付く。
「噂をすれば影が差すって言うだろう。あれは単なる慣用句なんかじゃないんだぜ。そんな無防備に名前を呼んだらヤバいって」
 慌てた調子で私に言う。それはまるで大人が子どもに噛んで含めているようだ。しかしそんなことよりも、あたしは自分が気付いた事実に愕然となった。
「あ、あなた――、人じゃないのねっ!」
 あたしはぎょっとして声を張り上げる。普通に考えればかなり突拍子もない台詞ではあるけれど、だけどあたしには不思議とそれがはっきりと分かってしまった。たぶんこれは間違いない。
 何よりもそれを聞いた途端、男の眉が驚いたようにすっと持ち上がったのだ。
「……ほお、正〜解」
 男はにやりと面白そうに笑ってあたしから一歩はなれた。
「よく分かったもんだな。ここ最近見た目でばれたことなんて一度もなかったのに」
 そう、確かに彼の見た目は人間とまるで変わらない。
 どこか浮世離れしたあいつとは違って、すっかりとこの時代に馴染んでいる様子だ。
 正直なとこを言ってしまえば、あたしだって別に何か確かな証があって分かった訳なんかじゃない。だけどあえて言うなれば、彼からはあいつと同じ気配を感じとったのだ。
「じゃああなたもやっぱり、あいつと同じような魔性、なのね」
 彼は誤魔化す素振りもなく、大胆不敵にうなずいてみせる。
「さすがは四ノ宮のお姫さんだ。オレの正体をよくぞ見破った」
「あたしは四ノ宮なんかじゃないわよ」
 途端にあたしはむっとして男を睨みつけた。
 四ノ宮の血を引いているのは否定しがたい事実だけど、初対面の相手から問答無用で四ノ宮呼ばわりされるのは気分が悪い。
 あたしは四ノ宮という記号ではなく、片瀬美鈴という一人の人間なのだ。それを無視されると、まるであたしという人格をまるっきり無視されているように感じられてしかたがない。
「そうかい? だけどあんたからはあの一族の匂いが――かなり濃厚な匂いがぷんぷんとしてるけどな」
 彼は手慣れた仕種であたしの肩を抱き寄せ、首筋の匂いを嗅ぎはじめた。
「しかも随分と旨そうな、いい匂いだ」
 そう言ってくつくつと笑う。 あたしはぎょっとして身体を離そうとしたけれど、がっちりと肩をつかまれてただじたばたともがくことしかできない。
「ちょ、ちょっと離して。離しなさいよ」
「そんなに怯えた顔するなよ。余計酷いことをしたくなるだろ」
 男はなおさら可笑しそうにくすりと笑って、ぺろりと首筋を舐めた。その瞬間、あたしの頭にかっと血が昇る。
「誰が怯えているのよっ」
 思いっきり向こう脛を蹴り飛ばすと、さすがの魔性も堪えたようでやっと手を離した。 というかしゃがみこんで悶えている。ざまあみろ。
「いってぇ……いきなり蹴り付けるなんてひでぇことしやがるな」
「いきなり舐める方がどうかしてるでしょうが!」
 あたしは真っ赤になってこのセクハラ男に文句を言う。すると彼は眉間に皺を寄せて逆に文句を唱える。
「オレを誰だと思ってるんだ」
「そんなの全然知りません!」
 間髪いれずに言い返すと、彼はふいににやりと笑って自分を親指で指し示した。
「そうだな。そういえば自己紹介がまだだった。オレは大口の眞神。由緒正しき狼の霊獣だ」
「狼の霊獣……大口の眞神? でもあの女の人はランって――、」
「そっちは人間相手に使うあだ名みたいなもんだ。どっちで呼んでくれても構わないぜ」
 彼はそう言って呆れたように眉をひそめて見せる。
「ったく、狼は西の方じゃ神として祀られてるんだぜ。由緒正しきその末裔の向こう脛を蹴り飛ばすなんて、とんでもないはねっかえりのお姫さんもいたもんだ」
「エロ狼を祀る義理なんてあたしにはないわよっ」
 本心からそう主張するが、彼はどうも気に喰わないらしくぶちぶちと言いながら頭をかく。そして
「ん?」と気が付いた。
「なんだこりゃ?」
 首の後ろから抓み上げたのは赤茶色の小さな毛玉。……ではなく。
「スゥちゃんっ!」
 あたしは慌てて彼の手から可愛い使い魔を奪い取った。
「なんか首の後ろがちくちくすると思ったら、こいつが噛み付いてたのか……。ていうか、その豆はなんだ?」
「豆じゃないわよっ! この子は使い魔のスゥちゃんよ!」
「あんなエゲツない大妖を使役しているくせに、どうしてこんなちび助なんか使ってるんだ?」
 ランは心底不思議そうな顔で首を傾げている。
 あたしはふと思い立って、今更ながらにおずおずと彼に問いかけた。
「そう言えば、あなたっていったい何なの?」
 魔性ということは四ノ宮の一族ではないということだ。 ではいったいどうして自分に関わってきたのか。そしてどうしてあの漆黒の魔性を知っているのか。
 疑問を隠しきれないあたしに彼はふいに目をすがめ、それからにやりと口端を吊り上げた。
「オレか? オレは、そうだな。言うなれば黒鬼の野郎の知り合いってとこだな」
「えっ、じゃあル……あいつの友達なの!?」
「おう、そうそう。お友達って奴だ」
 ランはけらけらと笑って肯定する。しかしあたしはぽかんと目を丸くしてしまった。あの高慢ちきな魔性に友達という言葉ほど不釣合いなものもないだろう。
「よくもまぁ、これまで平気で付き合ってられたわね……」
 なかば本気でそう言うと、ランは途端に苦虫を噛み潰したかのような表情で顔を引きつらす。
「全然っ平気じゃないって。これでもなんやかんや苦労と我慢を重ねてきたんだぜ。あいつと付き合っていくには忍耐強さが多大に要求されるとしみじみと思うぜ」
「それは確かにうなずけるわね」
 まったくの同感である。あたしもこくこくと首を振った。
「だいたいあいつにとってはたぶんオレが、この国でできた初めての魔性の知り合いだぜ。それなのに扱いが粗雑で粗雑で」
「えっ!?」
 あたしはその言葉に思わず目を見開く。
「あなたとあいつってそんな昔からの知り合いなの? って言うかそれっていつごろの話!?」
「そうだなぁ……」
 ランは数をかぞえるように指を折って首を傾げる。
「ありゃ、東の地に都が作られたって見物に行った時だから、……数百年くらい前か?」
「数百……っ」
 あたしは絶句する。これはあたしの常識とは桁が一つ二つ違っている。と言うか、はたして彼らは何百年生きているのだろうか。
 呆気に取られていると、彼はそれを察したのかなんでもないような顔をして言う。
「ん? 魔性に寿命はねぇからな。食事と健康に留意してればいくらでも長生きすんぞ」
 確かに長生きしようとしたらそれは基本かもしれないけど、いくらなんでも長生きの基準が違いすぎる。
「何とも偉そうな奴だと思ったら次会った時には首輪付きでよ、笑ったら見事にぼこぼこにされたよなぁ」
 彼はけらけらと懐かしそうに笑って、肩をすくめる。
「しかも今度は人に何の断りもなく百年も眠りこけやがってさ」
「じゃあもしかすると、あなたはどうしてルード……じゃなくって、あいつが百年もの眠りについたのかも知ってるの!?」
「いいや」
 あたしはがっくりと肩を落とした。なんとも肩すかしな事この上ない。しかし彼はあっさりと続けた。
「でもどうせあいつの主人関係だろ。特にあの時のあいつの主なら有り得ないことでもないだろうしよ」
「じ、じゃあ、あなたは百年前のあいつの主人を知っているのね!」
「おうよ、あの時代にしては背が高くってよ、すらりとして見目も華やかで。そのくせ出るとこ出てて引っ込んでるとこが引っ込んでて……」
 ランがふいにあたしの頭から爪先にまで視線を走らせた。あたしは反射的にぐっと息を詰まらせる。どうせあたしは寸胴体型だ! 悪かったね! 気にしてないもんっ!
 むしろあたしが気になったのは、もっと根本的な部分だった。
「じゃあその時の主人って、女性だったの!?」
「そうともよ。しかも確かかなりの別嬪だったぞ。四ノ宮の一族の中でもとりわけ旨そうな匂いを放っててな」
 彼はにやりと笑って、まるで秘密を打ち明けるようにそっとあたしに耳打ちした。
「あの時の主だけは、あいつも無理やり従わされている雰囲気じゃなかったな。もっと親密そうな間柄に見えたぞ」
「……っ」
 その瞬間、あたしは何故だか鈍器で殴られたかのようなショックを受けた。ぐらりと足元がふらつく。
「あんたを見つけた時は、あいつもだいぶ趣味が変わったもんだと思ったが、それでも匂いだけは相変わらず絶品だな」
 ランは再びあたしにくっつき、くんくんと匂いをかぎ始める。
「おれはあいつみたいに血を好む鬼じゃねえけどよ。あんたの白くて柔らかそうな肉に牙をつきたてて、溢れる甘い蜜をすすってみるのも、たまには良さそうだと思うぜ」
 ランは下卑た笑みを浮かべてあたしを見下ろす。その途端ぞっと背筋に怖気が走った。
「変なこと言わないでよ、気持ち悪いっ」
 あたしは思わずランを突き飛ばすようにして距離をとる。だいたい蜜だなんて、人を蜂の巣みたいに言わないで欲しい。もちろん直接的に血と言われても、気色悪いことには変わりないけど。
「オレとしてはどっちでもいいけどよ。はたしてあいつはどっちが目的だったのかねぇ」
 とぼけた顔でうそぶく狼。そこであたしははたと気付かざるを得ない。
 やっぱり、――あいつは前の主人の女性の血も飲んだのかな。
 あたしは思わずランの腕にすがり付いた。
「ねぇ、あなたは知ってるの? あいつの、ルードヴィッヒの前の主のことを――、」
「あ、馬鹿! こんなとこでアイツの名前はヤバいって……」

「――ほう。いったい何がヤバいのか」
 
 あたしは雷にでも打たれたように、びくりと凍りつく。
 背後から唐突に聞こえてきた甘く蕩けるビロードのような声。しかしその声にうっとりと聞き惚れることなんてできるはずもない。
 声の主はなんだかとても嫌味たらしく、しかもどこか愉悦を含んだ調子で問い掛けてくる。
「その訳を、とくと聞かせてもらおうか。なぁ、愚かなる僕どもよ」
 あたしとランの顔はほとんど同時に青ざめた。

 

 

 

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