≪五万ヒット御礼企画≫

これは長編『少年は世界を夢見る』のスピンオフ作品です。



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12 狩り (3)

 

「さて、それじゃあどこで夜を明かそうかな」
 おれは小首を傾げて、学院の地理を思い浮かべる。いくら逃げる必要はなくとも自室にいるんじゃさすがに無用心だし、何より建物の中にいては他の人間を巻き込んでしまう可能性がある。夏季休暇の最中で数は少ないとは言え、寮にまだ残っている生徒はいるし職員だっているのだ。家の事情でかたぎの人間に迷惑をかけるのは正直おれの本意じゃない。
 どうするべきかと頭を悩ませていると、おもむろにカームがため息をついて言った。
「……自分に心当たりがございます」
 不承不承といった態度の奴に(非常に癪に障りつつも)大人しく着いていくと、案内されたのは学院の裏手。生徒が称するところの裏山だった。
「なるほどね。ここなら生徒も滅多に入ってこないし」
 もともとこの学院が山腹に建てられている事もあるのだが、手入れもされずに放置された緑深いこの場所は、学生のまったく近寄らない穴場である。その理由は足場が悪い、薄暗い、陰気であると多々あるのだが、たぶんいつのころからか出回り始めた噂、「アヤカシの類いが出る」というのもその大部分を占めているだろう。
 もっともだからこそ、他の誰かを巻き込む可能性も少ないに違いない。ちなみに噂のアヤカシの身の安全に関しては、この際無視させてもらうことにする。
 ぼちぼち夜も更けており、勾配の激しい山道をあくせくしながら進むことしばらく。カームは窪地に生えた大樹――そのウロを指し示した。
「ここなら、しばらく見つかることもありませんでしょう」
「……おまえ、良くこんな場所知ってたな」
 偶然ではなかなか辿り着けそうもないその隠れ家に感心していると、カームは憮然とした口調で答えた。
「自分も無為にこれまでの日々を過ごしてきた訳ではございません。いざという時の避難場所くらいは、早い段階で目星を付けておりました」
「つまりおまえは最適の隠れ家を見つけるために、山の中を歩き回って探していたということか」
「是」
「……」
 なんだかいつのころからか広まっていたアヤカシの正体が掴めた気がしたぞ。まぁそれはともかくとしておれは、この律儀な護衛を心から褒めてやることにした。
「なるほど。単なるただ飯喰いではなかったんだな」
「………」
 なぜだか押し黙るカームを放っておいておれはウロに入り込む。多少手狭ではあるが以外にも中は乾燥しており居心地は悪くない。
「へぇ、結構楽しいな」
「不謹慎ですよ」
 呆れたようにそう言ってカームはどこぞに行こうとする。
「あ、おい。どこに行くんだ」
 さすがにこの状況で置いていかれるのは、いくらおれでも心細いんだが。
「周囲の様子を偵察に行ってまいります。ついでにいくつか仕掛けを施してくるつもりです。すぐに戻りますので、どうか勝手に出歩かないようにお願いいたします」
 ホントにもうあっちこっち行かないでくださいね、とカームはくどい位に念を押して去って行く。むしろおれは何処の五歳児だよ。
「いくらなんでもおれだって、自分の命が一番大切だからな」
 さすがに死の危険を顧みず、勝手気ままな行動には出られない。
 やれやれとため息をついて、おれはウロの内壁に寄り掛かった。ごつごつとして寄り掛かりやすいとは言えないが、まぁぜいたくは言っていられないだろう。
 懐から手紙の束を取り出すが、この暗闇の中では文字を追うどころかどちらが表でどちらが裏だかも判然としない。おれはちっと舌打ちをして手紙を戻す。
「あいつも明かりのひとつくらい置いていけってんだ」
 闇夜の森。
 目を凝らしても何も目には映らない。
 葉擦れのざわめきと、虫と、鳥と、獣の鳴き声。息遣い。
 こんな場所に取り残されると自分が一個の人間という枠から離れ、彼らと同じく森の一部であるようにも感じられる。
 聞いた所によるとおれの祖父のそのまた父は生粋の森の民――守り手の一族だったらしい。 わずかながらもその血を受け継いでいるからだろうか。普通の人間ならば恐ろしがるだろう夜の森に、自分には安らぎを見出すことができる。
「……まぁ、爺と血の繋がっている証なんて持っていても腹立たしいだけだがな」
 おれはゆっくりと目を閉じて、爺と自分が最初に交わした会話を思い出した。


「て言うか、おまえ馬鹿だろう」
「うっせえ、糞ジジイ! とっととくたばれ」

 これがおれの、自分と血の繋がった実の祖父との最初の会話である。
 年の頃は九歳。やんちゃ盛りの年齢というか、おれのこれまでの人生の中でも最も血の気が有り余りまくっていた年代でもある。
 もっともそうした時代背景を除いたとしても、その件に関してはまぁ仕方が無いことかもしれない。なにしろこの時、おれは非常に気が高ぶっていたのだ。
 その日、おれは通算三十八回目の家出に失敗し、強制的に家に連れ戻された直後だった。
 おれの親は一族の中ではかなり実直な部類に入る人間で、彼らにとっての父に当たる、おれの祖父から譲り受けた商売を地道に大きくしていっていた。
 しかしそんな堅実な両親から生まれたとは思えない程に、おれの性格は彼らとは大きく掛け離れていた。
 ようするにおれは、とにかくじっとしてはいられない子供だったのだ。
 どこか遠くに行ってみたい。色々なものを見てみたい。実際に触れて、感じて、味わってみたい。
 この世界には自分の知らない面白そうなものが山ほどあるというのに、それを確かめに行かないなんて頭がおかしいとしか思えなかった。
 だがかなりの放任主義的勢いで実子および孫子を育ててきた祖父アルベロは、しかし、たったひとつだけ一族内に徹底させたことがあった。
 それは己の血族は十四になるまではけっして大陸をでてはならないという掟。
 他はもう好きにしろと言わんばかりであったものの、しかし何よりもそれこそがおれにとっては我慢できないものであった。
 なんかもう、これはおれを謀るためだけに用意したんだろう! なんて、半ば本気で考えていた程に。
 その頃からおれはかなりの天邪鬼で、負けず嫌いな性格だった。
 だからおれは一族の掟を真っ向から無視して、度重なる失敗にも懲りず家出を繰り返していた。幾度も大陸からの逃亡を計り、失敗して連れ帰られてもけしてあきらめなかった。
 その時も外洋船に勝手に乗り込み家出を計ったのだが、残念ながら事前にそれを察した両親の奮闘および大騒動の末、あと一歩のところで計画を阻止されてしまった。
 だがさすがにこうした度重なる攻防に疲れ切った両親は、一度一族の長にお伺いを立てることにした。
 そしておれは、一族の長にして自分の祖父。地位と権力と財力を持ち合わせた、この世で最もはた迷惑な老人のもとへ連れてこられたのであった。
 

「ホント、おまえ馬鹿」
「うっせえっ、つってんだろっ。そんなに何度も言わなくても、聞こえてらぁっ。てめえと違ってまだ耳は遠くねえんだよ」
 傍から聞いてる分には、六十過ぎの爺と十にも満たないガキの会話とは到底思えなかっただろうが、当時のおれは可愛らしい位に真剣だった。
「だいたいおまえが全部悪いんだろっ。おまえが変な決まりなんて作るから、おれが何処にも行けなくなっちまったんだろうがっ」
「んなこと言っても、こっちにだって事情って奴があんだよ。ガキがぴーちくぱーちく喧しいわっ。だいたい何処にも行けないって、別にアウストリ大陸内なら何処に行こうが止めりゃしねえよ」
 何処にでも好きに行って勝手に野垂れ死ね、としっしっと犬でも追い払うように手を振る。おれはそれにかちんときた。
「おれはこんな大陸一個なんかじゃ、満足できないんだよっ。もっと色んなところに行ってみたいんだ」
「じゃあ、大人しく五年待ちな」
「五年も待てるかよ!」
 まだ九つだったおれには、五年なんて年月は途方もなく長い時間に感じられていた。
「意味の分からない命令に従って、大人しくじっとしてろって? そんなの心臓が動いていても、棺おけの中の死人と同じじゃねえか!」
 おれは爺を睨みつけて、そう怒鳴りつける。だが爺はきょとんと目を見張った後、大爆笑を始めた。ちなみにその笑いの意味は、いまだにおれには理解できていない。
「そうかいそうかい。そこまで言うならな、チャンスをやらないこともないぜ」
 爺は笑いすぎて涙の滲んだ目を拭い、にやりとおれに笑いかける。
「それなら、どうしても大陸を出なきゃいけない理由があると、俺を納得させてみな」
「例えば女とかか」
「ばぁか。てめえの女くらい傍らに捕まえておけねえような野郎の事情なんて、どうして俺が斟酌してやらなきゃいけねえんだよ」
 へっと鼻を鳴らした後、爺は妙に真剣な顔でおれに言った。
「おめえよ、留学してみるつもりはねえか」
「留学? 他の大陸の学校で勉強しろってか」
「おうともよ。だがよ、生半可な学校じゃあ許しちゃやらねえぜ。行くなら、最高峰を目指せ」
 北の学院へ行きな。爺はそう言った。
 その頃のおれにはピンと来なかったが、それはかなりとんでもない要求だった。
 サチェス神学院――別名北の学院と呼ばれる学校はこの世の学び舎の最高峰とも呼ばれている。平均入学年齢は十九歳。それも極々限られた優秀な人間しか入学は許可されないのだ。
「都合のいいことに、俺はあそこにちょっとしたツテがある。入学試験だけは、この大陸でも受けられるようにしてやるよ。無事に受かったら十四になる前でも大陸から出してやる。――まぁ、おまえ程度の頭じゃ百年たっても無理だろうけどな」
「うっせえ、やってやろうじゃねえかっ。後で吠え面かくなよ!!」
 嘲笑う糞爺に、おれは売り言葉に買い言葉という奴で怒鳴り返す。
 重ねて言うが、あの頃からおれは負けず嫌いというか、天邪鬼な性格だった。
 爺に目に物を見せてやると、それからおれは必死で勉学に勤しんだ。
 結局入学試験を突破したのはわずかに十四の誕生日を過ぎてしまってからで、おれはまんまとしてやられたと後悔することになるのだが、それは後の祭りだった。



 

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12、「狩り」……『少年は世界を夢見る』スピンオフ作品

 

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