第二章 1、「森の中の小さな街道」(3)

 

「うわわっ」

「ゼ、ゼーヴルムさんっ!?」

 銀色の軌跡が残像を残して閃く。

 ジェムは思わず悲鳴をあげるが、シエロはすんでのところでそれをかわした。

 ジェムは高鳴った心臓を抑え、恐怖の痕を色濃く残す眼差しでゼーヴルムとシエロを交互に見つめる。戦闘時以外は滅多に抜かないが、ゼーヴルムの持つ剣は紛れもない真剣である。切れ味確かな業物のそれはかすめるだけでも洒落にならない。

「おいおい、いきなり何をするんだよっ。びっくりしたじゃないか!」

「見え透いた芝居はやめるんだな」

 突然の暴挙に息を荒くしシエロは非難を浴びせるが、しかしゼーヴルムはますます冷たい目で彼を睨み付けるだけだった。

「その身のこなし。足さばき。それでまだ自分は無力だと言い張るのか。何よりもお前は、精霊使いだろうが」

 きっぱりと断言するその言葉に、シエロは一転して困ったようにぽりぽりと頭を掻きだした。

「あの、」

 話についていけないジェムがこっそりと隣のバッツに話し掛ける。

「精霊使いって何ですか? バッツさんの火霊使いとは違うものなのですか?」

「精霊使いというのは、言うなれば魔道士のことだ。精霊と契約を交わすことによって精霊の力を借りているやからのことをさす」

 バッツはいぶかしげな瞳をジェムに向けながらも、律儀にその問いに答える。

「おれの場合は契約をしなくても精霊の力を貸りられるが、それは火の精霊に限られる。逆に精霊使いはたくさんの種類の精霊と契約できるが力には制限がつく。得意不得意もあるけどな。こんな当たり前のことも知らないのか?」

 また大きな都市なのでは実験的に、精霊の力を機械や一部の兵器などの原動力として取り入れようとする動きさえある。

 これらの知識はいまや知っていて当然のことだとまで言われれば、ジェムは恥じ入ってうつむくしかない。

「ははは、それは仕方がないよ。ノルズリ大陸には今精霊使いはほとんどいないからね。仕組まではなかなか耳に入らないものさ。おや。ジェム、そういえばなんだか顔色が悪いね。大丈夫かい」

「勝手にあちらの話に加わっているな! まずこっちの質問に答えろ」

 肩をつかむゼーヴルムをシエロはうるさそうに見返した。

「やれやれ、しょうがないなぁ…。そんなの気にすることでもないと思うけど、そこまで聞きたいのなら答えてあげよう」

 シエロはピンと立てた人差し指をくるくるとまわす。

「確かに俺は精霊使いだ。ジェムと違って戦闘能力もばっちりある。さあ、この答えで満足かな?」

 ひゅるり、と実際に手の中に風を集めてみせる。見る人が見れば、たぶん彼の周りには多くの風の精霊が取り巻き、その力を貸していることだろう。しかし、ゼーヴルムはことさらに声を大にして怒鳴った。

「ふざけるな! ではなぜ貴様は戦わない。戦う能力があるのなら人に任せきりにする必要などないだろう!」

「『戦える』というのと『戦うことができる』というのは違うんだよ。ゼーヴルム」

 シエロがやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。ゼーヴルムはかっとなって声を荒らげた。

「貴様の言葉遊びに付き合うつもりはないぞ、シエロ・ヴァガンス! 我々は巡礼の旅の最中だ。今は事情により四人しかいないが、これは我々全員に平等に課せられた義務だ。ならば四人それぞれが、自分にできる最大限の努力をすべきだろう」

「それはまさしくそのとおりだね」

 その言葉には素直にうんうんとうなずく。

「確かに誰か一人が手を抜くのはフェアじゃない。それは他の仲間に対する裏切りだ。だから君らが戦っているあいだ、俺はジェムを守っているんじゃないか」

 突然話を向けられて、ジェムは目を向いた。

 たしかに常に多勢に無勢だった今までの戦闘で、ジェムが傷ひとつ負わずに済んだのはシエロが自分達の周りに風の結界を張っていたからだ。それで義理は果たしていると言うシエロに、しかしゼーヴルムは否と言う。

「それは貴様の最大限の力ではない。それ以上の協力だってやろうと思えばできるはずだ。結界を張りながら戦うことも、精霊魔法を使い戦っている我々を援護することも貴様にはできるではないか。何故それをしない。何故手を抜くのだ」

 強く鋭い眼差しがシエロを貫く。
 真摯に問い掛けるゼーヴルムを避けるように、視線を落としたシエロは小さく笑った。艶やかな金髪を掻き上げて、彼はやれやれと長いため息をつく。

「別に手を抜いているつもりはないさ…。これは角が立つから言わなかったんだけどね。俺は、自分より弱い人間と一緒に戦うつもりはないんだ」

 あまりに意外な、そして高慢な言い方にジェムは思わず目を見開いた。こんな人を見下した態度はけしてシエロらしくない。だが彼はまったく言葉をひるがえすつもりはないようで、ゼーヴルムも唇を噛みしめ肩をふるふると震わせている。

「私が…、貴様よりも弱いと?」

「そっ。俺と一緒に戦いたいなら、少なくとも今の二倍、いや、三倍は強くなってもらわないとね」

 飽くまで傲慢に言い張り、肩をすくませ続けるシエロを睨み付け、ゼーヴルムは彼に真っ直ぐ剣を突きつけた。

「そこまで言うならひとつ手合わせを願おう。私が勝てば、この先の戦闘に力を貸してもらうぞ」

 シエロは困ったように苦笑するが、このままでは済ませられそうにないと分かると存外あっさりとその申し出を受け入れた。そうしておもむろに落ちていた枝を一本拾い上げる。

「しょうがないな。受けて立ってあげるよ。君から剣を手放せさせれば俺の勝ち。その剣で俺に一太刀でも掠められたら君の負け…」

「おいっ」

「…もとい、君の勝ちだ」

 枝をぶんぶんとしならせながら、冗談の通じない奴だと唇を尖らせる。

「その枝一本で私と戦うと? あまり私を見くびるな」

「見くびってるつもりはないよ。単なるハンデさ。ついでに魔法も使わないでおいてあげようか」

 にやりとシエロが笑いかける。

 馬鹿にしているとしか思えない台詞だが、ゼーヴルムはもはやそれ以上何も言わなかった。怒りを面に出すことなく、ただ逆に凍りつきそうなほど暗く冷たい眼差しでシエロをにらみつける。

「バッツさん。大変です! 早く止めないと!!」

 ジェムは顔を真っ青にしてバッツにすがりつくが、褐色の肌の砂漠の少年は理解できないと言わんばかりに首をかしげた。

「なぜ止める必要があるんだ?」

「なぜって、旅を始めたばかりなのに仲間割れなんかしちゃ駄目ですよっ。始めたばかりじゃなきゃいいと言う訳でもないですけど…。とにかくこんなの駄目です!!」

「別に仲間割れじゃないだろ。単に誰が一番強いかはっきりさせようというだけだ。リーダーを決めるのには、まあ一番判りやすい方法だな。ちなみにあいつらの中で勝った方は俺と戦ってもらうぜ。そいつに勝ったら俺がこの中で最強だ」

「そ、そんな…。バッツさんまで」

 そんなに止めたいなら自分がやめさせればいいじゃないか。と、言われジェムは目の前が真っ暗になるほどの絶望感に駆られた。

(なんとかして止めなければ…)

 だが、頭の中はまるで霧が掛かったようで、明確な思考すら定かではなくなっていく。気を抜けば膝から地面に崩れ落ちそうだ。そのまま一歩二歩と、ジェムはよろよろ後ずさって行く。このままその場から背を向けて走って逃げたい誘惑に駆られるが、そんなこともできない。

 ジェムは遠く離れた場所から、今にも泣き出しそうな顔で、向かい合う二人を見ていることしかできなかった。