第二章 6、「永遠の夜へ続く森」(4)

 


 仲間にも言えていない事。
 確かにそれは図星だったが、それをずばり言い当てられてジェムはひどく狼狽した。

「えっ、どうしてそれを―――、」
「単なるあてずっぽうです」

 びっくりして訊ねるジェムに、まあ一応は当たっていたみたいですねとルーチェはこともなげに答えた。

「ちなみに仲間というところはあなたが自分をぼくたち、と複数形で述べていたところからの憶測です」
「…」

 ジェムはがっくりと肩を落とす。
 どうやらルーチェの詐術に見事に引っかかってしまったようである。

「しかしあなたはどうも人に遠慮しすぎる嫌いがありますね。オレには話せなくても、すぐ傍にいる仲間ぐらいには頼ってもいいんじゃないですか」
「でも、…ぼくはただでさえ役立たずでみんなの足をひっぱているのに、これ以上迷惑はかけられませんから」
「誰かにそう言われたんですか?」
「そ、そんな訳ではないですけど…」

 ジェムはあわてて否定する。

「でも…」
「でも? なんですか」

 ジェムはますます気まずそうにうつむいた。ルーチェは不思議そうに首をかしげる。

「分からないですね。何故そんなに卑屈になる必要があるんですか。あなたは他の人間よりもそんなに劣っているんですか」

 それは考えようによってはだいぶ失礼な問いかけだったが、ジェムはそれに言い返すこともせず悲しげに唇を噛み締めた。

「…ぼくは、駄目なんです」

 黙って炎の揺らめきを見つめながらジェムはぽつりとつぶやいた。

「弱くて駄目な人間なんです。一人じゃ何もできないくせに周りに迷惑をかけてばかりいます。ぼくには何の価値もないくせに…。ぼくはぼくがここに居ていいのかどうかすらも分からない―――、」

 何の力もとりえもない、ただの弱くて駄目な人間。
 誰かを傷つけ、迷惑をかけてしか生きていけない人間。
 そんな人間なら、もういっそいないほうがマシなんじゃないか―――、

「弱くて駄目じゃいけないんですか?」

 あっさりと問い返されたその質問にジェムはぎょっとして顔を上げた。

「え、だ…だって、」

 眼球に溜まっていた涙が弾みでポロリとこぼれる。
 頭の中に疑問符が山のように並んだ。
 ごく当然のこととして認識していたことだからこそ、改めて言葉にしようとしてもうまくいかない。ジェムはひどく考え、苦労してその理由をなんとか形にした。

「だってそれだとみんなに迷惑が…」
「他人に迷惑をかけずに生きていける人間なんてこの世にはいませんよ。大体弱いこと駄目なことがどうしていけないんですか。そんな人間も許容できない社会こそ存在する価値はありませんね」

 ルーチェはジェムのセリフを遮り、過激なことを何食わぬ顔で発言する。

「社会というのは弱さや欠点を互いに補うために形成されたものでしょう。一人ですべてのことを完結できるならもとよりどんな生き物だって群れる必要はありませんよ。どんなに立派な英雄だってたった一人では生きていくことはできないんですからね」

 平然と違いますかと問われたジェムは、つたないながらも何とか反論を試みる。

「でも、それはみんな生きていていい人たちだから…」
「不思議なことを言いますね。生きるのに許可が必要なんですか」
「だってぼくは、自分に価値を見出せないから…」

 ジェムは悲しげに目を伏せた。

 生きている価値もない人間は世界に存在していても邪魔なだけではないか。
 役に立たない人間はそれこそ使えなくなった道具を廃棄するように捨てられてしまって当然なのではないか。
 世界に存在する価値がある人間とない人間がいるならば自分は明らかに後者だろう。

「それはあなたがまだ自分の生きる意味を見つけてないだけのことですよ」

 ルーチェはこれまたあっさりと答えた。

「人は生まれながらに自分の価値を持っているわけじゃないですよ。人はみな自分の生きる意味を探しながら生きている。生きる意味を探すこと、それ自体が人生なんじゃないんですか。そしてその意味を見つけたとき、今度はそれが生きる価値になる。確かにそんな価値もないような人間はいますよ。でもあなたはそうではない」

 ルーチェは口元を緩めた。

「だって少なくともオレは、あなたが今ここにいてくれて良かったと思っていますからね」
「えっ!? そ、そうなんですかっ」

 ジェムは目を丸くした。

「そうですよ。どれだけ一人旅になれていても、やはり独りきりの野宿は寂しいですからね。あなたが今いてくれることでどれだけ心が慰められていることか。でも例えこんな特殊な状況じゃなくても、あなたがいて良かったと思う人は他にもたくさんいるんじゃないですか」
「…いてくれると、思いますか?」
「いてくれるんじゃないんですか」
「本当に?」

 ルーチェはくすりとのどを震わせた。

「あなたも大概疑り深い人ですね。ええ、オレが自信を持って保障してあげますよ。あなたが在ること、ただそれだけのことに価値を見出す、そんな人は必ずいますよ」

 必死な、しかもどこかすがるような視線を向けるジェムに返すルーチェの眼差しは、飽くまで冷ややかであり、また淡々としていた。しかしその淡く冴えた蒼い瞳は揺ぎ無く、逆に見る者にその言葉が嘘や世辞ではないことを信じさせた。
  ジェムは息をころしてじっとルーチェを見ていたが、ふいに憑き物が落ちたかのようにがっくりと肩を落として深々と息をついた。伏せられたその顔はわずかに笑みを浮かべ照れているようでもある。

「―――ルーチェさんって、すごく優しい人ですね」
「優しい人、ね。オレがこんなお節介を焼くのは本当はかなり珍しいことなんですよ。竹の花が咲く以上に珍しいかもしれない。たぶんオレは貴方のことをだいぶ気に入ってしまったんでしょうね」

 奇異も衒いもなくそう告白されてジェムは思わず顔を赤らめた。

「あ、あの本当にありがとうございます。こんなにいろいろな話をしてくれて…。ぼく、絶対に忘れないですっ」
「オレも君の名前だけは忘れないようにしましょう。…おや、誰かやって来たみたいですね」

  ぎくり。

 ジェムは身をすくめた。蒼ざめた顔色で身構えるが、ルーチェは耳を澄まして首をかしげた。

「一人…いや、二人ですね。貴方の名前を呼んで探しているようですよ。若い女性と、男性です」

 その言葉を耳にした瞬間、ジェムの顔色が変わった。しかし悪い方にではない。ぱっと上げた顔は生彩に満ちている。

「どうやら仲間がむかえに来てくれたようですね」
「はい。でも…」

 しかしその顔は再び陰っていく。

 探しに来てくれた事は非常に嬉しい。
 けれど自分はゼーヴルムを眠らせて出奔した上に自分の問題もまだ何ひとつ解決していないのだ。このまま戻ればみんなを巻き込むことは間違いない。どの局面からしてもみんなに顔を見せられた立場ではないのだ。―――だが、

「行けばいいですよ」

 ジェムははっとしてルーチェをみた。

「言ったでしょう。人は助け合って生きるものだと。繰り返し言いますが、あなたはもっとわがままになっていいと思いますよ。良い仲間じゃないですか。わざわざ探しに来てくれるなんて。きっと貴方の問題にも親身になってくれるはずですよ」

 不安な気持ちもあらわにジェムは眉をひそめ俯いていたが、ぎゅっと唇を噛みしめると真っ直ぐに視線を上げた。そして鈍痛の走る身体に鞭打ってゆっくりと立ち上がった。

「決心はつきましたか」
「はい…」

 ジェムの目に迷いは無かった。

「あの、本当に重ね重ねありがとうございます。見ず知らずのぼくにこんなに良くして頂いて…」
「オレの何がしかの言動が貴方の役に立てたのなら幸いですよ。どうぞこの先お気をつけて」

 ジェムは深々と頭を下げて歩き出そうとしたのだが、ふと足を止めどこか名残惜しそうな眼差しでルーチェを振り返った。

「あ、あの…また逢えるでしょうか?」
「あー、そうですね。きっと逢えるんじゃないんですか。オレ達の縁は繋がったばかりなんですから」

 ルーチェは口元に薄い笑みを乗せると鷹揚にうなずいた。
 その言葉にジェムはほっと微笑みあらためて夜の森へ向かった。

 何の問題も解決してはいない。
 それどころかこの先とてつもない困難が待ち受けているのは、何にも増して明らかだ。
 しかしそれでも、彼の前に広がる闇はけして先の見えない永遠の夜ではなかった。