第三章 正しい魔法の使い方 (2)

 

 ジェムと戦闘。これほど似合わぬ組み合わせもそうないだろう。

 驚いたのは誰もが同じらしく、事情の分からぬセルバを除いてバッツもゼーヴルムも突然何を言い出すのかという顔でジェムを見ていた。

「や」

 ようやく金縛りを解き、シエロがおずおずとジェムに意見する。

「止めて置いたほうがいいんじゃないかい。人間には向き不向きってもんがあるんだし。そういう荒事はゼーヴルムたちに任しておけば」
「シエロ、てめぇが言うな、てめぇが。……だけど、まあおれも同じ意見だ。お前は争いごとが苦手なんだろ。無理すんなよ」

 バッツもそう言うが、しかしジェムの意思は堅かった。

「いえ、あのご迷惑にならないようなら、ぜひとも教えて貰いたいんです」

 ジェムは真剣に彼らを見つめ返した。






 何もできずに、守られてばかりは嫌だ。
 それはこれまで戦闘が起こるたびに、ずっとジェムが思っていたことだった。

 樹大神殿に着く前に出会ったルーチェという青年は、例え弱くても、迷惑をかけることがあっても何も問題ないのだと言ってくれた。
 自分と言う存在に劣等感を抱いていたジェムは、果たしてその言葉にどれだけ救われたか分からない。
 しかしだからこそ、ジェムはその言葉を何もできない言い訳にはしたくはなかった。

 巡礼の人数が増えたということはそれだけゼーヴルムたちの負担が増えるということでもある。

 ともに戦うのは自分にはまだ不可能かもしれない。でも、少なくとも自分の身ぐらいは自分で守りたいと思った。
 自分にも何かできるという実感が欲しかった。



「剣でも魔法でも何でもかまいません。ぼくに戦い方を教えてください」

 真剣な表情で深々と頭を下げるジェムを前にして、シエロは珍しく困ったように頬を掻いた。

「そこまで言うんだったらねぇ、教えてあげたいのもやまやまなんだけど……。でも、俺はどちらかと言うと人に教えるの向いてないんだよ。そういうのはやっぱりゼーヴルムに頼んだらどうかな。軍隊仕込みの必殺技とか教えてくれるかもよ」
「そんなものは存在しないっ」

 反射的に怒鳴り、ゼーヴルムは頭痛を堪えるかのように頭を抑えた。シエロの突拍子もない言動に眩暈がしたのかもしれない。しかしそれでもシエロから会話を引き継いで、彼はまっすぐジェムを見つめる。

「ジェム・リヴィングストーン」

 ゼーヴルムは久々にジェムをフルネームで呼ぶ。ジェムも姿勢を正すとゼーヴルムを見返した。

「自分も戦いたい。そう考えるその心意気や良しと言おう。だが剣を取って戦うには覚悟が必要だ。私には、お前にその覚悟があるとは思えない」

 真摯であるぶん容赦のない言葉がジェムに突き刺さる。
 ゼーヴルムはかたわらに置いてある長剣を手に取ると、それをすらりと抜いた。鋭い刃が焚き火の明かりで赤く光を弾いた。

「これは命を奪う道具だ。自分自身を守るため、誰かの命を救うため、どうお為ごかしてもこれは人を傷付け人を殺すものに他ならない」

 淡々としたその語り口はあまりに重々しくジェムの耳に響いた。
 襲い掛かる獣を撃退するためゼーヴルムは剣を振るうし、その切先が人間に向くことになっても彼はためらいはしないだろう。実際、軍人として生きてきた彼にとって人を切ったことも一度や二度ではないのかもしれない。

「自分は人を殺さないといくら思っていても、これが人殺しの道具である以上絶対という保証はありえない。『剣を持つ者は剣によって滅ぶ』という言葉があるが、事実剣を手にした者はいずれ己自身殺されることを覚悟している。それは私自身そうであるし、シェシュバツァルもまた同じだろう」

 腰に三日月刀(シャムシール)を帯びるバッツがゼーヴルムの視線を受け無言でうなずく。

「剣は人殺しの道具だ。魔法もまた人を傷付ける技と言うことには変わりはない。それを認識した上で、誰かの命を奪い、そしていずれは誰かに殺されるかも知れないという覚悟をジェム、お前は持っているか」

 きつい口調でそう訊ねられ、ジェムは何も言えず黙り込む。ジェムには答えることができなかった。

 ここで覚悟していると、口で言ってしまうのは簡単だ。しかしそれはあまりにも無分別で思慮に欠けた答えだろう。
 確かに自分は皆の助けになりたい。その思いには一片の偽りも無い。
 しかしいつか本当にそのような場面に遭遇した時、自分は果たして人に剣を向けることを思い切れるだろうか。

 今はどうにか吹っ切ることができたとは言え、三年前に受けたあの苦しみがジェムから確信を奪っていた。


 ――いつまでぼくは、役立たずのままなのだろうか。


 ジェムはぎゅっと唇を噛みしめる。
 無力な自分に対する悔しさが余計に惨めさをかきたて、ジェムは段々泣きたくなってきた。
 胸がどんよりと重くなる。

 そんな風にすっかり落胆するジェムだったが、彼の陰鬱な空気を吹き飛ばすようななんとものほほんとした声がそこに加わった。

「何か良く分かんないんだけど、セルバでよかったら精霊魔法の使い方教えようか」
「えっ」

 ジェムはぎょっとして声の主を見た。

「セルバ、ちょっとだけなら精霊魔法を使えるよ。それでいいなら教えてあげられるけど」
「おいおい、てめえは今の話聞いてなかったのかよ」

 バッツが呆れたようにセルバを睨む。しかしセルバは不思議そうに首をかしげた。

「聞いてたけど、でも剣を持って敵を傷付けるだけが戦いじゃないでしょう? 後ろから仲間を援護するのだって、傷ついた仲間を癒すのだって立派な戦いじゃないかな」
「なるほど、たしかにそうだ」

 さも当然といったセルバに、シエロは楽しそうに同意した。

「人を傷付けたくなかったら、人を傷付けない戦い方を覚えればいい。セルバ、君は頭がいいね」

 シエロの言葉にセルバは照れたように頬を染めた。


 ――自分にも、できることがあるかも知れない。



 現金なもので、そう考えると途端に胸が高鳴った。
 ジェムはごくんと息を呑んでセルバに向き直る。

「……セルバさん。ぼくに教えてもらえますか。人を傷付けない戦い方を」
「うん、いいよ。セルバが教えてあげる」

 痛々しいくらい真剣なジェムとは対照的に、眼帯の少年はなんとものんきに微笑んだ。






 精霊魔法とは基本的に精霊をその目に写し意思の疎通をはかることができる能力者(一般的に召喚師と呼ばれる)が精霊を呼び出し、力を貸してもらえるよう頼んで発動させる技の事を指す。
 精霊使いは召喚師の能力を持っていることがほとんどで、両者は同一視されることが多いが、技術的には普段精霊を見ることができない者でも精霊魔法を使うことは可能である。

 セルバはなるべく平たい土地を選ぶと、そこに枝で幾何学模様を描き始めた。

「これは結界式ね。慣れてくれば別になくても構わないけど、最初のうちはやっぱり在ったほうがいいかも。あとはいつもより位の高い精霊の召喚に挑戦するときにも大体描くかなぁ」

 それは三つの円を頂点に持つ三角形を基本としており、所々に見慣れぬ文字や記号が並んでいる。

「へぇ、かなり本格的だね。それ、シェストグリームの召喚図式でしょ」

 横からのぞきこんだシエロが感嘆の声を漏らす。セルバがへへっと照れくさそうにうなずいた。

「うんっ。とりあえず第三次マディスタ系統には基本だしね」

 彼らの間でかなり耳慣れない用語が飛び交うが、質問を後でまとめてしようとジェムは決めた。さもなければ質問だけでこの夜が終わってしまいそうだ。

 学院で一応人並み以上の知識は学んだと思っても、実はまだまだ世界には知らないことのほうが多いらしい。

 しかもこうやって聞いたこともない専門用語に囲まれていると、だんだん自分には常識もまだ足りていないような気分になってくる。そう感じて恥じいってしまうジェムだが、その横ではバッツもまた物珍しそうに準備の様子を見ていた。
 何となく同類に巡り合ったような気持ちになり、ジェムは心なしかほっとした調子で声をかける。

「バッツさんもこういう魔法は興味があるんですか?」
「ん、まぁな。一応後学の為だ」

 少年はそう言ってそっけなくそっぽを向く。しかし図星を突かれたのは確かなようで、顔がほんのり赤くなっていた。

「おれは『火霊使い』だからな。こうやって一から精霊を呼び出したことはないんだ。興味があることは否定しない」
「へぇ、バッツ君は『精霊の愛し児』なんだね」

 セルバがふと作業の手を止め、驚いたようにバッツを見る。

「おう。何か文句あっか?」
「ううん。セルバは『火霊使い』を見るのは初めてだよ。バッツ君、すごいね」

 しかしそうは言いつつも、セルバの声からはいつもの明るさは欠けていた。

「でも、セルバは精霊と仲良くするのはちょっと怖い……」

 高位の精霊になればなるほど、その姿や言葉は人に近くなる。
 しかしそれは人間の姿自体が神の姿に似せて創られたからだ。要するに人に似ているのではなく神に似ているのである。

 似かよった外見を持っていても人と精霊はまったく異なった存在だ。
 精霊は人や動物のように肉体というものを持たず、その思考回路や判断基準、価値観は人とは大幅にずれている。さらに精霊はけして人間に好意を持っているものばかりとは限らない。

 例え仲良くなれたように思えても、人間には精霊のすべてを理解することはとうてい不可能なのだ。

 どこか怯えたように首をすくめるセルバにバッツはむっとして反論しようとしたが、しかしそれを長閑な声が遮った。

「まあ、確かにそうかもね。精霊は人間とはまったく違うし、俺らにしてみればかなり突飛で気まぐれな部分もあるさ」

 そう言ってシエロは苦笑する。

「でも、犬だっていきなり吠えたりもするし、鳥だって人間を突っつくよ。ようは適切な付き合い方を心得ておけばいいってだけの話さ」
「おまえなぁ、精霊をそこらへんの動物といっしょにすんのもどうかと思うぞ」

 道理では在るが突拍子もない意見に、バッツが呆れたようにシエロを睨む。

「あっ、いいの! ごめんね。セルバが人一倍臆病なだけだから」

 セルバが慌てて二人の間に割って入った。そしてにっこりと笑ってジェムの方を見る。

「待たせちゃったね。ようやく準備が整ったよ」

 穏やかに手招きする少年を前に、ジェムはごくりと唾を飲み下した。