第三章 正しい魔法の使い方 (3)

 

 ジェムは、地面に書かれた三角形の召喚図式の一角に立った。

 さらにもう一角にはセルバ。最後の一角は空席のまま、残りの面々は少し離れたところに立っている。

「とりあえず、呼び出すのは大地の精霊でいいよね。信仰している神様と同じ系列の精霊の方が魔法は扱いやすいから」
「そこは全部お任せします」

 自分は精霊に関してはまったくの無知だ。少なくとも始めはセルバに任せた方が良い。そう思ってうなずいたジェムだが、ふと首をかしげた。

「あの、精霊魔法の効力って信仰心に関係があるんですか」
「ううん、そんなことはないと思う」

 セルバは首を振って苦笑した。

「関係あるのは元素(エレメント)との親和性。この親和性というのは、生まれた土地や種族なんかにとても左右されるものだから」

 そして土地や種族がもっとも影響を受ける元素は信仰する神と同じ属性であることがとても多い。
 もっとも信仰を持ったから影響が強くなったのか、影響が強いから神を信仰するようになったのかは誰にも分からぬことだ。

「すくなくとも信仰の対象が、得意となる魔法の目安になるのは確かなの。でもそこに信仰の厚さは関係ないの」

 柔らかな笑みを浮かべたまま、セルバは小さくつぶやいた。

「でなかったら、僕に精霊魔法は一切使えないはずだから」
「えっ?」

 ジェムは思わず耳を澄ましたが、セルバはそ知らぬ顔で説明を続ける。

「最初は様子見ということにして、なるべく低位の精霊を召喚しようね。慣れてきたら徐々に力の強い精霊を呼び出すの。そこの匙加減はセルバに任せてくれて大丈夫だよ」

 そう言ってセルバは力強く自分の胸を叩く。だが少々力の加減を間違えたらしく身体を折って咳き込んだ。

「…………」

 本当に任せてしまって大丈夫だったのかとジェムは早々に不安になってきたが、ふいにこちらに向けられた彼の眼差しがとても真剣だったためジェムは思わず姿勢を正す。

「じゃあ、セルバの言葉に同じように続けてね」
「は、はいっ」

 ジェムは緊張に身を堅くして神妙に答える。

「一言でも間違えちゃうと精霊呼び出せないからね」

 遠くからシエロが楽しそうに茶々を入れた。

「ううっ、もう。シエロさん、脅かさないでくださいよっ」
「ははっ」

 泣きそうな顔で振り返ると声をたてて笑われたが、こちらと魔法という未知の領域に踏み出すのでいっぱいいっぱいなのだ。

「そんなにがちがちに顔強張らせてたら精霊に笑われちまうぞ」

 呆れた顔でバッツも言う。
 むしろすでに巡礼仲間に笑われています。と、ジェムは肩を落としたのだが、笑いの混じったシエロの言葉はそれでも十分優しかった。

「別にそんなに緊張しなくても大丈夫だよ。精霊魔法なんて大して難しいことじゃないし。それよりジェムはいつものように笑っておいで」
「それが精霊召喚の秘訣ですか」
「そうとも。効果は俺が保障するよ」

 シエロが悪戯っぽくにやりと笑う。
 彼の言うことはいつだって意味もなく自信満々だ。だからどれほど荒唐無稽であってもついつい信じてしまいそうになる。
 そしてそんな物言いはとても彼らしく、ジェムは思わず苦笑してしまった。

「心の準備はできた?」

 セルバに言われてうなずき、それからふいに気がついた。

 たぶん自分の緊張をほぐすために、彼らはわざと声を掛けてくれたのだ。振り返った先ではシエロが陽気に片目をつぶる。

 まだ緊張で胸が高鳴っているが、ジェムはそれでも無理やり口元に笑みを載せた。
 それは単なる強がりだ。だけどみんなが自分のために協力してくれているのだ。失敗は許されない。

「はい。大丈夫です」
「ふふ、頼もしいな。じゃあ始めるよ」
「がんばってねぇ」

 初の精霊召喚に挑もうとする二人を楽しそうに応援していたシエロは、ふと隣のゼーヴルムを見た。彼は儀式にはあまり興味がないようで、明日の朝食の下ごしらえをしている。

「そう言えばさ、どうして今までジェムは精霊魔法を使ったことも見たことも無かったんだろうね」
「それはノルズリ大陸では精霊魔法は一般的じゃないからだろう」

 ゼーヴルムは、何を今更、と呆れたような目をシエロに向ける。

 ノルズリ大陸では精霊魔法はほとんど使われていない。使える人間もほとんどいないし、土地によっては精霊魔法の存在すら知らないところもあるらしい。

「でも、それが一番の不思議だよね」

 シエロはさらに首をかしげる。

「だって精霊魔法ってすごい便利じゃないか。精通してれば生半可な武器じゃ相手にならないし、日常生活にだって応用できる。実際大陸によっては精霊魔法で兵器まで造ろうとしているんだろ? なのになんで一番文化の進んでいるノルズリ大陸が精霊魔法をまるきり無視しているのさ」
「それは……」

 ゼーヴルムが言葉につまる。

「もしかして、何か理由でもあるのかな……?」

 シエロはかすかに眉をひそめ、どこか不安げな眼差しを二人の少年に向けた。





「じゃあセルバの言葉を繰り返してね」

 にっこり笑ったセルバからはそれまでの幼い口調は影を潜め、まるで歌のような鍵呪キー・スペルがその口から漏れる。

「樹神の治めし東の地の、森を育みし大地の精霊」
  「え、じゅ、―― 『樹神の治めし東の地の、森を育みし大地の精霊』

「司りし場をしばし離れ、我が目前に姿を現せ」
  「―― 『司りし場をしばし離れ、我が目前に姿を現せ』

 ジェムは懸命にセルバの呪文を復唱する。セルバはジェムをちらりと見た。

「我が名は……、続いてジェム君の名前を言って」
  「ええっと、―― 『我が名は、ジェム・リヴィングストーン』

 セルバは笑ってうなずいた。

「汝が助力を求めし者なり」
  「―― 『汝が助力を求めし者なり』ッ!」

 ジェムがそう言い切ったとたん、地面に描かれた召喚式がうっすらと燐光を発した。そして式の誰もいない三つ目の円のなか、地面がゆっくりと盛り上がっていく。

 劇的な変化ではない。しかし黒い土はどんどん形を成していった。それは目に見えない人間が粘土細工に興じているようでもある。

 そして土はやがて不恰好ながらも腰の曲がった小さな人間の形へと変じた。

 指先や顔の細かい部分はだいぶ省略されている。それでもあきらかに人の形をした土人形はゆっくりと顔を上げ、しかも口を利いた。

(ワシヲ呼ビ出シタノハドチラゾ)

 びっくりして口が利けないでいるジェムに代わってセルバが答えた。

「こっちの彼が召喚者だよ。セルバは単なる介添人」

 地の精霊の声は人間の声とは違い、まるで地鳴りのようにどこか遠い所から響いてくるように聞こえた。
 それはけして聞き取りやすいとは言えない声であったが、それでもジェムは注意深くその声に耳を澄ませた。

(幼子ヨ、名ヲバ名乗レ)

 自分は『おさなご』なんかじゃないとむっとしつつも、セルバの視線に促されてジェムは精霊に名を告げる。

「ぼくはジェム・リヴィングストーンと言います。ノルズリ大陸から来た巡礼者です」

(のるずり大陸……、ヌシハ『地ノ民』ゾ?)

 訝しげな響きを宿すその声に、困惑しつつもジェムはうなずく。

「はい。そうですけど……」

 だが、ジェムの肯定に精霊の様子は一変した。ずぶずぶとその身を構成する土が忙しくうごめく。

(『地ノ民』ガ……、)

「えっ?」

(汚ラワシキ人間ゾガワシヲ呼バウナドトハ片腹痛シ。我ラガ同胞ノ内ニ、ヌシドモニ手ヲ貸ソウ者ナド居リハセヌ)

「はっ? そ、それはどういう……」

 その声は明らかに怒れる者のそれであり、ジェムは狼狽のあまり周りに助けを求めるがセルバもまた驚きを隠せないでいた。

(呪ワレシ五欲ノ民ヨ、我ハヌシラヲマダ許シテハオラヌゾッ)

 精霊の身体を構成する土の一部が礫(つぶて)となってジェムに襲い掛かる。

「セルバっ!」

 鋭いシエロの声にセルバはやっと我に返った。

『壁(ヘキ)』っっ!」

 礫はジェムの目前で見えない壁に弾かれた。続けざまセルバは印を組み呪文を唱える。

『介添人たる我の介入を許したまえっ。東の地の精霊、汝が役目はすでに果てた。直ちにあるべき場所に帰られよ』


―― 『汝、疾くと退くがよい』っ!」


 セルバの鍵呪キー・スペルに合わせるように、精霊の身体はぐずぐずと崩れていく。精霊はもはや形を成していない腕をジェムに向けて言った。
 その声はあまりに怨嗟に満ちており、ジェムはぞっとする。

(滅ビノ宿命ヲニナイシ者ヨ、汝ガ罪ハイマダ……)

 そしてそのまま精霊の姿はもとの土塊へと戻った。