誰もが唖然とした顔でその場に立ち尽くした。 「え……? 今のは、一体なんだったんだ」 一連の展開についていけていないバッツが頼むようにセルバを見る。しかしセルバも上手く事情が飲み込めていないようで、呆然と首を振った。 「分からない……。セルバも、こんなこと初めてだ」
シエロはつぶやくが、しかしセルバはぶんぶんとかぶりを振った。 「でも、セルバが召喚したのはもっとも低位に近い精霊なの。あんな最低位の精霊で召喚を失敗するなんて聞いたことがないよ」
その言葉に、深く俯いたジェムはひとりぎゅっと唇を噛みしめた。 「だが先ほどの精霊の言葉を省みるに、失敗の原因はただの力不足などという軽々しい理由ではないようだぞ」 憂鬱そうに眉をひそめ、ふうとゼーヴルムがため息をついた。シエロも先ほどの精霊との会話を思い出しながら、うぅむ、とうなる。 「もしかすると地の民は全般的に精霊魔法と相性が悪いとか。でも、そんなこと今まで聞いたことないしな……。ねぇ、さっきの精霊なんて言ってたっけ。確か、『呪われし五欲の民』……?」
バッツが驚いたように顔を上げた。 「『地の民』なのが原因なのかっ?」
その途端。 「えっ、ジェム?」
仲間の静止も聞かず、少年の姿は森の木立に消えた。
「た、大変だ。すぐに追いかけなきゃっ」 シエロが叫び、その後を追おうと慌てて足を踏み出す。しかし……、 「放っておけ」 思いも寄らない冷たい声に彼はぎょっとして振り返った。 「ゼーヴルム……」
黒髪の青年は素っ気無くそう言い放つ。 けれど彼らは追われてこの森に逃げ込んできたという経緯がある。
「シエロ・ヴァガンス。貴様はジェムに関しては少々過保護が過ぎるな」
シエロは眉をひそめゼーヴルムを睨みつける。 「もしかするとてめぇは、自分の意見を無視して戦い方を学ぼうとしたジェムに腹を立てているんじゃないのか」 探るような疑うような、そんな眼差しを向けるバッツに、ゼーヴルムは険のある表情で一笑、鼻を鳴らした。 「くだらない。貴様の邪推はまるで的外れだな」
苦しげな咳払いにシエロたちは慌てて振り返った。 「セルバ!」
白髪の少年はその場にうずくまり、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返している。合い間に何度も鋭い咳が続いた。 「……ごほっ、ごめんね。最近あんまり出なかったんだけど――ぐぅっ」
シエロはセルバの背をさする。 「―――こふっ、はぁ。騒がせちゃって、ごめんね。もう大丈夫だから」 ぐいっと口元をぬぐう。翠の右目に涙を滲ませてはいたが、セルバはふにゃりといつもの笑みを浮かべた。 「もしかして、持病かなんかか」 バッツは恐る恐るたずねるがセルバは、ううん、と首を振った。 「そういうのとは、ちょっと違うの。たまにちょっと咳が出るだけ。でも大したことはないから気にしないで。それより喧嘩を邪魔しちゃってごめんね。どうぞ続けて」
続けてくれと言われても、こうなるとそれもなかなか難しい。すっかり気が削がれてしまったバッツは、ちらりとゼーヴルムを見たが軽く睨みつけるだけにとどめた。 「ゼーヴルム」 一方思案気に眉を寄せていたシエロは、おもむろに顔をあげて彼に言った。 「俺たちはこれまでずっと一緒に旅してきたよね。だから俺は君を信じることにする。ジェムのことは、君に任せるよ」
落ち着きかけていたバッツがぎょっとしてシエロを見た。理解できないと言わんばかりに清ました顔の青年を咎める。 「何ふざけた事を言ってんだよ。ジェムの身に何か起こったらどうすんだっ。こんな薄情野郎の言うことなんか無視してさっさと探しにいこうぜ」
今にも走っていこうとする少年の肩を今度はセルバが掴んだ。バッツは病み上がりの彼への対応に少し戸惑ったようだが、結局は憤懣やるかたないという顔でセルバを怒鳴りつけた。 「何だよ、てめぇも薄情野郎の仲間なのか!」
探しに行くのはそれからでも遅くはないと思うよ。邪気のまったく感じられない口調でそう言われ、バッツは迷いながらもしぶしぶと歩調を緩めた。 「釈明の機会をありがとう」 そしてちらりと視線を向けるが、ゼーヴルムはただ黙々と朝食の下ごしらえを続けている。彼からは何も言うことがないらしい。シエロは、仕方がない、とひょいと肩をすくめた。 「まぁいいや。あのね、バッツ君。あれやこれやと気を回し、何でも率先してやろうというのはとても良い事だよ。でもそれは同時に、非常に容易いことでもある」
バッツは納得がいかないとばかりにシエロを睨みつけるが、彼は当然の顔をしてうんうんとうなずく。 「要するに何でも人任せにする奴はただの無能だけど、何一つ人に任せられずあちこち首を突っ込むのも器の小さな証ということさ。人には人のやり方がある。それを納得いかないからといって邪魔をするのも無粋だよ」 君は野暮な小者なのか、それとも気が利く上に懐深い人間なのか。
「馬鹿にすんなっ。おれをいったい誰だと思ってる! シャイフ=アサドの息子、フーゴのシェシュバツァルだぞ。それを狭量な小人物だなんて愚弄するにもほどがあるっ」
あまりの激昂にシエロは呆気に取られるが、しかしバッツは聞いてない。 「ゼーヴルムっ」 バッツはがつがつと足音を立てて彼に近付くと、びしりと指を突きつけた。 「ジェムのことはお前に一任してやる。その代わりもし万が一ジェムに何かあった場合は、もうお前のやることは二度と信用してやらないからそう思えっ」
ゼーヴルムは穀物の粉を水でこねながら素っ気無く答える。 バッツはふんと鼻を鳴らすと、再び荒い足取りで焚き火とは逆方向の森へ向かった。
「シエロさんはとても口がお上手ね」
シエロは苦笑した。 誇り高いバッツのことだ。ああいう言い方をされれば、矜持が先に立ちシエロたちに反対することはできないだろうことは分かっていた。 まあ、このままの方が扱いやすいのは確かだけど。と、シエロがそんなことを考えていると、不思議そうな顔のセルバが首をかしげて彼を見ていた。 「でもどうして君はジェムを探しに行くのを止めてしまったの?」
両手を広げてシエロは肩をすくめる。
「信じて待つのもたまにいいかな、ってね。だいたい面倒見の良いこの軍人さんが本気でジェムを見捨てる訳がないだろう。要は彼がジェムを助けると言うことだろう。だったら邪魔せずお任せするのが筋ってもんだ」 シエロは人差し指をくるりと回し、にんまりと吊り上げた唇にあてがう。
「と、いうことでみんなの期待を一身に背負ってるんだ。精々頑張って、つまらない失敗はすんなよ」
セルバもせがむように彼を見て、二人は万事安泰とばかりに帰っていく。
「……誰も、ジェムのことは任せろなどと言ってないんだがな」 それがどのようなつもりで言われたにしろ、聞いている人間はすでにどこにもいなかった。
※ ※ ※
誰も、悪くない
ジェムははっと瞼を開くと、霞がかった頭を片手で支えかぶりを振った。
彼がいるのは崖に穿たれた小さな洞穴だった。
どうやら自分は泣き疲れて眠ってしまったようだ。おまけに何だかおかしな夢も見た。
実のところを言うなら、このような夢を見るのはこれが初めてではない。巡礼を始めて、ここアウストリ大陸に足を踏み入れたあたりから、たびたびこれまでにはないおかしな夢を見るようになった。
もっとも目覚めた後に残る感情、悲しみや遣る瀬なさだけは妙に心に居座り続ける。
ぱちりと、焚き火にくべた小枝が弾ける。 それにつられた様に、深いため息がジェムの口から漏れた。自分に対する嫌悪感が全身を満たしていた。 突然何も言わずにあの場所を飛び出してしまい、みんなにとても迷惑をかけてしまっただろうことは分かっている。でもあのままあそこに居続けることはジェムにはできなかった。
セルバの漏らした言葉が鋭く胸に突き刺さる。ジェムは再び泣きそうに眉をひそめた。 あれだけ大騒ぎし、みんなの手を煩わせて、結局自分は何一つ得る事ができなかった。
セルバに召喚してもらった地の精霊はことのほか『地の民』を嫌っていたようだ。
泣き疲れて眠るほど落ち込んでいたくせに、また懲りもせず鬱屈した気分がぶり返してくる。 (――ぼくは本当に無力だ……) ジェムは再び塞ぎこみ、心内でそう呟いた。
(……と言うか、むしろ今の状況こそとても危険なんじゃ) ジェムはふっと顔を上げた。 当然のことだがここには結界を張ってくれるシエロもいなければ、代わりに戦ってくれるバッツもゼーヴルムもいない。
果たしていざとなった時、どうやって自分の身を守ればいいのか。
「み、みんなのところに戻らなきゃ……」 自分の取るに足らない羞恥心や意地などはもうどうだっていい。少なくとも今は急いで仲間の元に帰らなければ。
慌てて帰り支度をするジェムだったが、ふいに彼は身を強張らせた。 下草を掻き分け砂利を踏むかすかな物音。 折もあろうに誰かがこの洞穴にやってきたのだ。
闖入者の持つランプが壁に不気味な影を揺らす。 しかしジェムにできることと言えば、怯えて縮こまっていることぐらいしかなかった。この先の凄惨な展開を想像し、思わず少年の目に涙が滲む。 (やだっ、誰か……、『みんな』助けて!) ジェムは頭を抱えてしゃがみこむ。 「……お前は、よく泣いているな」
ジェムはぎょっとして顔を上げる。 そこには黒髪の青年軍士、ようするにゼーヴルムが、なんとも難しい顔付きで立ち尽くしていた。
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