巡礼者たちが樹大神殿に戻ったのは予定していた一ヶ月をやや過ぎた頃だった。 さすがに喪儀も終わったらしく、ひらひらと街を彩っていた五色の旗はすべて降ろされている。だがそれでもにぎやかな街の空気はなにひとつ変わっていなかった。 大神殿に向かった彼らを迎えたのは、以前神殿の事情を教えてくれたあの人好きのする司祭だった。 「長らくお待たせして申し訳ありませんでしたね」 彼は白髪の混じった黄みの強い茶髪をかきあげにこにこと笑いながら、時には軽口も取り混ぜて巡礼者たちを本殿へと案内する。 「あの、次の大神官様は決まったのでしょうか」 ジェムはおずおずと戸惑った様子で司祭にたずねた。
「ええ、もちろんですよ」 だけど一方の司祭は巡礼者たちのそんな疲労に気付いているのかいないのか、相変わらずむやみやたらとご機嫌な様子で彼らを礼拝堂へと導いた。 通された聖堂はがらんとしている。
「あ、あれ……っ」 バッツが思わずといったように、それを指差す。司祭は小さく苦笑した。 「単なる棒切れに見えるでしょうが、あれが当神殿の御神体です。あの枝はユークレース様からじきじきに授けられたものであると伝えられているんですよ」 司祭の説明を耳にしつつ、ジェムはその枝に思わず見入っていた。 緑玉をあしらったような鮮やかさに、大理石を思わせる白く佳麗な色彩。
「この枝葉はこの地に樹大神殿が建てられた時から一度として枯れたことがないのです。不思議でしょう」 司祭の言葉にジェムは小さくうなずいた。
――神無き世界。 ふと脳裏に浮かんだ考えをジェムは慌てて振り払う。だがそれでも身の内に湧き上がった嫌な感覚は消えなかった。 「ところで、大神官殿はまだいらしていないのか」 訝しげに眉をひそめたゼーヴルムが周囲を見回し司祭に尋ねる。
「いいえ、ちゃんとおりますよ」
ゼーヴルムは憮然と呟き、それからはっとして司祭を見た。
「ご紹介が遅れましたね。わたしが樹大神殿の新たな大神官、アルシェ・エヴァグリーンです」
驚きに目を丸くする巡礼者たちにアルシェはにこりと微笑みかけた。 「樹神殿史上最年少の大神官となります。まぁ、ようするに若輩者のぶんざいでと言うことですが」 そしてとぼけたように肩をすくめた。 ジェムは呆けたように彼を見る。
だが若き大神官はなんの怖れも驕りもなく、堂々と彼らの前に立っている。そこには樹大神殿を預かる者としての、確かな自信が見て取れた。 「それはそれはおめでとうございます」
太鼓持ちのように恭しく差し出されたシエロの手を、アルシェは苦笑して握り返す。 「もっとも、これから学ばなければならないことの方がよっぽど多いのですけどね。この所ちょっと考えを改めさせられまして」 独白混じりにそう答え、大神官は彼らを見ておもむろに首をかしげる。 「それはそうと、先日はいらっしゃらなかったそちらのお嬢さんはどなたでしょうか」
巡礼者たちの間から一歩前に出て来た少女は大神官の前ではっきりと言った。 「森の薬師で狩人のフィオリトゥーラと言います。二百五十代目の巡礼の旅に特別参加させて頂きたいと思ってやってきました」 フィオリは深々と頭を下げた。 「あたしが巡礼についていくことを許可して下さい」
※ ※ ※ 村に戻ったあと森の守護者の嫗にフィオリは言った。 「あたしも巡礼者たちと一緒に行きます」 そしてジェムたちに向かって頭を下げた。 「あたしも巡礼に連れてって。お願い」
スティグマが慌てたようにフィオリの肩を掴む。だがフィオリは己の保護者を見て小さく首を振った。 「ごめんね、スティグマ。あたしもう決めたの」
静かに微笑んでたずねるシエロに無言でうなずく。 「結局セルバはおまえの何だって言うんだよ」 きつい口調のバッツにフィオリはしばし躊躇うように口を閉ざし、おもむろに答えた。 「セルバはあたしの――従兄、なんだと思う」
フィオリは自嘲気味に首を振った。 幼い頃の幸せだった思い出の中に、おぼろげに浮かぶ姿。
だけどそれはひどく曖昧な記憶で。
トゥーラと自分を呼ぶ声が今も彼女の中に残っている。
自分はその気持ちに応えなければならないのだ。 「あたしは彼と話をしたい。色んな話を。それに、どうして神殺しなんて事をしたいのかも聞かなきゃいけない」 フィオリの瞳には迷いは無かった。彼女は真っ直ぐな眼差しで前を見据える。
「たぶんあなたたちに着いて行けば、もう一度セルバに会えるはずだわ」 セルバは彼らに自分の邪魔をするなと言った。
巡礼者たちは神殿を巡り、セルバは神域を目指す。
ジェムもそれにうなずいた。 「はい、ぼくもそう思います」 いや、むしろそうであってほしいのだ。
実際彼が、250代目の巡礼者となるはずだったことは偽りではない。
例え彼が何を望んでいたとしても、その思いだけは紛れも無い真実なのだから。 フィオリはもう一度巡礼者たちを見て言った。
「そのためだったらあたしは――――、」 ※ ※ ※ 湖のそばの村で言ったのと同じ台詞を言い頭を下げたフィオリを見て、大神官はもう一度首をかしげた。 「それは、あなたがアウストリ大陸の代表として巡礼者になる、ということですか」
フィオリがおずおずと答える。 森の守護者の嫗はとりあえず問題ないだろうと言っていた。
「で、当の巡礼者たちはというと」
憮然とした顔でゼーヴルムが応じた。
「まぁ、いいんじゃないですか」
ジェムが思わず声を張り上げる。
「残念ながら、わたしも先代から何の引継ぎもなく大神官になったので正確なことは何も言えないんですよ。でも、守り手の方が良しと言ったのならそれでいいんだと思います」
アルシェはそう言って微笑んだ。そしてふいに真面目な顔付きで深々と頭を下げる。 「この度はこちらの不手際の所為で何の助言もできずに申し訳ありません。ですが、樹神殿はあなた方の無事を祈り、支援することを約束しますよ」 この樹大神殿の大神官として、とアルシェは力強く請け負った。 「よろしくお願いします」 礼儀正しく頭を下げる巡礼者たちに彼はにっこりと微笑む。 「はい、確かに。……いやしかしそう言って頂いて助かりますよ。こんな大神官じゃ話にならないとか言われたら、どうしようかと思っていました」 そう言って少々大げさな仕種で胸を撫ぜ下ろす。傍目には何の迷いも内容に堂々としている彼であっても、なったばかりの大神官という役割にまだ不安な部分が多くあるのだろう。 「そうそう、そう言えばジェムさん」 ふいにアルシェはジェムに苦笑交じりの視線を向ける。 「実はあなたにひとつ伝言を預かっています」
突然自分ひとりに矛先を向けられ、ジェムは思わず目を見開いた。
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