「で、フィオリさんたちはぼくを探すために……海賊船に乗り込んでここまで来てくれたんですか」
唖然とした表情を浮かべるジェムに、フィオリは得意満面にうなずいてみせる。
自分を救うためにここまでしてくれたのは嬉しい。本当に嬉しいのだけれど――。 「ちょっとなに、なんか文句でもあるの?」
はっきりしないジェムにフィオリは眦を吊り上げる。ジェムはとっさに首を振ったが、肯定の言葉は思いもよらぬ方面から飛んできた。 「オレには、あるっ」 ぎょっとした思いで振り返ると、ダリアが腕組をしてふんぞり返っていた。 「そこまで言われてもまだ我を通そうなんて、面の皮が厚いと言うか恥知らずというか。とんでもない娘っ子だな」
知らないとは時に何ものにも勝る勇気を人に与えるもの――いや、この場合は蛮勇と言った方が正確か。
フィオリの語ったことは主にジェムに対する説明だ。
だからこそ門外漢である彼をきっと睨みつけるが、ダリアはふふんと鼻を鳴らして居丈高にフィオリを睥睨した。 「ばぁか。無礼なガキには無礼な事を言ってもいいんだよ。そう『ホーリツ』で決まってんだ」 そんな法律、これまで見たことも聞いたこと無いがギュミル諸島では当たり前の話なのだろうか。そう考えていると、おもむろにやってきたエジルがぽんとジェムの肩を叩いた。 「いやいや、さすがにそんな無茶な決まりなんかありゃしませんぜぃ。ダグ島にもノート島にも。オカシラが勝手に言ってるだけだから」
脱力したように肩を落とすエジルと、さもありなんとうなずくジェム。
「お前が自分の身の安全よりもジェムの方を心配すると言うのはまぁ、いいだろう。許してやる。だがその所為で心配してくれる親同然の奴を蔑ろにするのは頂けない」
背後でぼそりとグレーンが呟き、ダリアは思わずぐっと息を飲む。が、それでもめげずに言葉を続ける。 「海の民は忠孝に篤く、受けた恩はけして忘れない。むしろそれを蔑ろにする奴は、場の和を乱すと軽蔑される。いいか、オレの船に乗りたきゃそこの所をしっかり覚えておくんだな」
フィオリはむっとして言い返すが、ダリアはふふんと鼻で笑った。 「じゃあ船頭のいないこの船に乗って漂流し続けるか?」 まったくの正論に返す言葉もなく、ぎりりとフィオリは歯軋りしダリアを睨みつける。喧嘩上等のダリアも負けじとフィオリを睨み返した。 「まぁまぁ、落ち着きなさい。双方とも」 苦笑しながら間に入ったのはグレーンだった。彼は穏やかに二人をたしなめる。 「ようするにね、お嬢さん。貴女は仲間の元に戻ったら、きちんとお父さんに謝りなさい。それがこのイア・ラ・ロドに乗るために、我々がつける条件と理解してください。そしてダリアも、こんな小さな、しかも女の子相手に大人気ないですよ」 完膚なきまでに大人の態度でお叱りを受けて、フィオリとダリアはしゅんと小さくなる。そんなところは似たもの同士である。
「それで――貴方の方は大丈夫ですか?」
言葉だけ聞いているとまったく問題は無いように思えるが、ジェムがふと視線を向けた先では、シエロがだいぶ具合が悪そうに青ざめた顔で口元を覆っていた。 「シ、シエロさんっ。大丈夫ですか!?」 ジェムはぎょっとしてシエロの具合を心配する。これほどまでに体調の悪そうなシエロを見ることは滅多にない。遡ればたぶん、猫に懐かれて寝込んだとき以来だ。 「船室に閉じ込められてからずっとこうなの。平気だって言ってたけど……」
言葉だけは平然と、シエロは蒼白い顔のままぱたぱたと手を振って見せる。 「ああ、どうやら随分と気の廻りが悪くなっているようだな」 ちらりとダリアがシエロの顔を覗き込んで言った。
「あの……気の廻りが悪いって、どういうことですか」
グレーンが律儀に訂正するが、別に意味的には違わないだろうとダリアは大雑把な返事を返した。 「たぶん空気のこもった船室に長くいた所為で、一時的に体内の気の廻りが悪くなったんだろう。自然の風に当たっていればすぐに治る。――それよりも、オレはお前らがなんでこの船に乗っていたかの方が気になるな。だいたいこの船の有様は何なんだ」 ダリアはふいに厳しい眼差しでフィオリを見る。その目はこれまで丁々発止のやり取りをしていた奔放な青年ではなく、幾度もの荒事を乗り越えた海賊船の長の目だった。 「それは……確かに、ぼくも気になります。フィオリさん、どうしてあなたとシエロさんは、船室に閉じ込められてなんかいたんですか」 彼女らに手を貸した提督は信頼の置ける海賊船を紹介したはずだ。提督か、あるいは海賊たちにもしや彼らは騙されてしまったのだろうか。
「とりあえず、まず最初に勘違いをひとつ訂正しておくわね。いまここにいる船は、あたしたちが最初に乗り込んだ船じゃないの」 彼女は言った。 「あたしたちの乗っていた船は、この海賊船に襲われたのよ」
マレー提督に紹介され、彼女たちが最初に乗せて貰っていた海賊船ではフィオリらはまさに下にも置かない扱いを受けていた。
その理由はひとえにシエロの存在にあった。
このように風霊魔法の使い手や風霊使い(風喚び)が、ギュミル諸島の船乗りたちの中で敬意を受けるにはいくつかの理由がある。
それは今もまだギュミル諸島でまことしやかに語り継がれている伝説。『風霊に好かれた者を害すれば、その船は風霊から呪われる』という言い伝えである。 暴風雨に襲われるか、凪に見舞われるか。どちらにしてももしそんなことが実際に起きれば、海に漂う帆船などひとたまりもないだろう。
だがそれも、いまや大真面目に守っているのは信心深い『海の民』に限るのかもしれない。現に船員の大半が精霊に対する関心の薄い、ノルズリ大陸出身で占められている私略船の船乗りたちにとっては、何の意味も持たなかったのだろう。
「あの時は大変だったわ。まさかこんな短い期間に二度も海賊に襲われるとは思わないじゃない」 フィオリはしみじみと呟くが、それにダリアはむっと眉を顰める。 「海賊船じゃなくて私略船だ。このふたつはぜんぜん違うぞ」 彼にとっては見過ごすことの出来ない違いのようだが、彼女は綺麗に無視する。そしてその時の事を思い返したのか、フィオリは忌々しげに吐き捨てた。 「あいつらは荷物を全部明け渡せはこれ以上酷い事はしないって言ったわ。船員たちは大人しくそれに従ったの」
どうしてフィオリたちが私略船に乗り移る羽目になったのか。それに対するフィオリの答えは簡潔だった。 「あいつらは、あたしたちの事を商品だと思ったようなのよね」 船乗りとは見るからに毛色の違うフィオリとシエロは、海賊船の中でも特に目立っていた。特に海賊船は女性厳禁だ。にも拘らず海賊船の中にいたフィオリたちを、私略船の船員たちはてっきり奴隷として売られる商品だと考えたのだ。 「あたしは本当に嫌だったけれど、シエロが抵抗しない方がいいって言ってね」 フィオリはどこか恨みがましい目でシエロを見る。どうにか顔色が戻ってきたシエロは肩をすくめてその視線を受け流した。 「まぁ、それが賢明だな」 ダリアがうんうんとうなずく。 「私略船の連中は生粋の海賊たちと違って残酷非道だ。下手に逆らえば問答無用で殺されていただろうな。まぁ、お前みたいな娘っこならむしろ――、」 ダリアはそこで言葉を切ったが、値踏みするような視線に上から下まで舐めるように見られ、フィオリはぞっと背筋を粟立てて両腕を抱きしめた。ようするにまだ商品として扱われた方が身の安全は確保しやすかったという訳だ。 「で、そのあとは船室に閉じ込められてたからよく分からないわ。ただそのうちなんだか凄く揺れだしたり、逆にぴんと張り詰めた空気みたいに動かなくなったり、そんなのが交互に起きて」
うんうんとダリアがうなずく。ようするに空の民で精霊使いのシエロを閉じ込めたことで、私略船は風霊の嫌がらせを受けたということらしい。
「それが大体一週間くらい続いたかしら。最後には何だかどたばたと物を運んでいる音がしたと思ったら、あとはさっぱり物音ひとつしなくなったのよ」 実際にはどういった経緯でそんなことになったのか、正確なことは定かではないが、船員たちはフィオリたちを船の一隻に置きざりにして逃げ出したらしい。 「つまるところ、そいつらは積荷だけを持って船を捨てたのか」 呆れたようなダリアの言葉に、海賊たちはそれぞれ嫌悪の表情を浮かべている。
「それは大体いつ頃のことですか」 グレーンが何かを計るようにフィオリに訊ねる。 「閉じ込められてたんだもの。時間の感覚なんてさっぱりよ。……でも、そうね。あなたたちが来るまでに半日も経ってなかったと思うわよ」 その言葉にジェムはほっと息をついた。 もしも風霊のアイセがこの船を発見し、そしてダリアが向かわなければフィオリたちはずっと船室に閉じ込められたままで、そうなればきっと二人とも無事ではすまなかっただろう。
「しかし船一隻捨てさせるほどの祟りをおこすとは、とんでもなく精霊に好かれてるんだなお前は」 ダリアは呆気に取られたような目でシエロを見るが、シエロはどこか素っ気無い態度で首を振る。 「別にこの場合は、俺が居たとかそういうのは関係ないんじゃないの? 何せこの船は、精霊にとってかなり好ましくないものを積んでた訳だし」 ジェムには何のことかさっぱりだったが、ダリアははっと顔色を変えて配下たちに確認する。 「そうだっ。お前ら、アレは見つかったのか!?」
それを聞いてダリアは口惜しそうに地団駄を踏んだ。 「あの、アレっていったい何のことなんですか?」 ジェムは遠慮がちにダリアに問い掛ける。もともとこの船に向かったのだって、アイセから何かの存在を聞きつけたからだ。
《イア・ラ・ロド》の船長はジェムをちらりと見ると、忌々しげな顔でぼそりと呟いた。 「……封印石だ」
ジェムは首を傾げる。口に出すのも汚らわしいと、それ以上の説明を拒むダリアに変わって解説を受け持ってくれたのは操舵手のグレーンだった。 「封印石とはご禁制の品のひとつで、文字通り封印――精霊を封じるための術に欠かせない石ですよ」
それはむしろ結界のようだ。ジェムはそう思ったのだが、返された答えはより深刻だった。 「結界は精霊の放つ力を遮るだけですが、封印石は精霊の存在自体を遮ります。それが結果としてどれだけの災いを生じさせるかと申しますと……」
ダリアがそう吐き捨てる。ジェムはその言葉にぎょっと目を見開いた。 「精霊ってそんなに重要な存在なんですか!?」
ダリアはあっさりとうなずいた。 風が吹くこと、水が流れること、火が燃えること、草木が芽吹くこと。その全ては、この世に満ちる元素(エレメント)によって発現する。
「ダリアの言い方はちょっと大げさですよ」 グレーンは困ったように苦笑する。 「もちろん精霊の手を借りなければ不可能と言うわけではないです。ですが精霊がいなければその土地、その海域は確かに自然の力が弱くなる。――ですから我々は皆、目に見えない精霊の力によって生かされていると言ってしまってもいいのかも知れないですね」 グレーンは苦笑しながらそう言う。しかしジェムはそれを聴きながらふと違う事を考えた。 人間にとって生きる上で重要となるのは、目に見えるものよりも目に見えないものの方が多いのではないだろうか、と。
不思議そうなフィオリの言葉にジェムははっと我に返った。ダリアはその疑問にあっさりと答える。 例えば封印石を使えば精霊の加護を持たない者でも精霊使いと互角に勝負ができる。いや、精霊の助けを借りることに慣れきった人間は完全に無力化されるだろう。
「だから、封印石は闇では高値で取引される」 それはようするに、戦争の道具としても利用されているということなのだろう。 「それじゃあ、あなたはそんな危険なものを手に入れていったいどうしようというの?」
途端に警戒心も顕わな口調で問い掛けるフィオリに、しかしダリアは眉をひそめて心外そうに言った。 「あんなもの、手の届くところにあるから、掘り返されて持ち出されるんだ。だから人の手の届かない、深い海溝に沈める。大体オレが封印石の売買に手を出してみろよ。うちのアイセにどつかれるって」
ジェムは思わずうなずき、苦笑した。
「アイセ……?」 ふと、呟き声がする。 「まさか、精霊――?」 視線を向けると、だいぶ顔色が戻っていたシエロがしかしひくりと顔を引きつらせていた。
「ねぇ、ダリア。あの憎たらしい石は? ちゃんと捨ててくれた?」 ばさりと翼が大気を打つ重い音がして、空から真っ白な大鷲がダリアの腕に舞い降りた。
「すまねぇ、アイセ。しくじっちまったぜ」
あったのかしら、と訊ねながら視線を廻らせたアイセはしかしある一点を見たところでぴたりと言葉を途絶えさせた。そしてぎょっとしたように、全身の小羽を毛羽立たせて大声で叫ぶ。 「ど、どうしてあなたがこんなところに居るのっ。アーヴェ――、」
シエロはまさに立て板に水のごとく、歯が浮くような台詞をとめどなく捲くし立てながら大慌てでアイセのくちばしを掴む。
「ああ、なに? 君もまんざらでもないって? それは重畳。俺たちきっと気が合うんだね、運命ってこういう事を言うのかも」 アイセを小脇に抱えたシエロは至極真剣な表情で、周囲を見回して言った。 「それじゃあ俺たち、これから将来に関わる大切な話をしなきゃならないから誰もついてきちゃ駄目だよ」 そして唖然とする周囲を尻目に、シエロはアイセを捕まえたままそそくさとその場を離れ物陰に消えていく。 「……なんだったのかしら、あれ」
あまりに唐突なことで訳がわからない。ジェムもフィオリもただただ呆然とするしかなかった。
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