第四章 5、嘘と真相の欠片(4)

 


 次々と転がる空の酒樽。
 山と詰まれた皿の料理は、次々に手掴みで胃の中に納まっていく。
 下品な冗句に飛び交う怒号。
 陽気なダミ声の奏でる歌がいつしか我も我もの合唱となって、遠慮のない笑い声の合い間に響いている。
 そんな無秩序に騒がしいこの舞台は、海賊島の酒場のひとつ。
 夜更けを過ぎてもますます賑わいを増すそこは、常日頃であっても喧騒に満ちた賑やかな場所であることだろう。
 だけど今日はそれ以上に、勝手知ったる者同士の忌憚のないやりとりが、その場の空気をさらに騒々しいしいものに変えていた。
 これはいったい何事なのかと言うと、実はギュミル諸島でも名の知れた海賊《イア・ラ・ロド》一味の宴会風景なのであった。
 無事に航海を終え、荷解きを終え、とんとん拍子に略奪船の売買も済ませた祝いに、馴染みの酒場を借り切って呑めや唄えやの大宴会が繰り広げられていると言うわけである。
 こうしたやりとりはどうも陸に上がった時の彼らの習慣であるらしく、上陸直後のダリアの意味深な笑みはこれを指したものであるらしかった。
 短い間であっても同じ船に乗り、世話になっていたのだ。こうした酒宴を辞退するのもはばかられ――そしてなによりジェム自身が、賑やかで気のいい彼らに引きつられ、おずおずとではありながらもその場に同席していた。そしてそれは、やはり途中で拾われたシエロやフィオリであっても同じであった。
「シエロっ、再挑戦だっ! これならどうだっ!」
「うわぁ、困ったなぁ。俺、これ嫌いなんだよなぁ」
 そう言いながらも空の民の青年の顔には今にも溢れんばかりの喜色に包まれていた。
 かなり独特でキツイ臭いをさせつつも、その蕩けるような甘味から南国では果物の王様とも呼ばれるその果実。
 彼は瑞々しく新鮮で、かつ珍味と呼ばれるがゆえに少々お値段も張るその果物の山にいそいそと手を伸ばしていく。
「困ったなぁ、いやはやどうしてくれようか」
 そしてさっそく頬張り出した彼を前に、白い調理服に身を包んでいた青年は頭を抱えて悲鳴を上げた。
「ちっくしょぉっ、これでも駄目だったかぁっ!!」
 人目もはばからず声を張り上げた彼は海賊船《イア・ラ・ロド》の料理長サラマ。そして嬉々として果物を頬張っているのはもちろん西の大陸の巡礼者シエロだった。
 ちなみにこの不思議な攻防戦の発端は、サラマの悪い癖がシエロに向けられたことから始まる。海賊島まで船内に居候することになったシエロに向かって、サラマがいつものように
「君の嫌いな料理はなんだい?」
 とたずねたところ、シエロはしれっと、
「果物が嫌いだね。特に種のない奴は最悪だ」
 と答えた。そしてそれを真に受けて船内の果物を山盛りにして出したサラマの前で、シエロは喜悦の表情でそれに手を伸ばした。
「困ったなぁ。俺、これが大の苦手なんだよ」
 そして困った困ったと言いながら、一切れ残さず果物を平らげたあとで、こともあろうにシエロはこう付け加えた。
「ああ、今度はシェムノン産のお茶が嫌いになってきたなぁ」
 それに対してサラマが口惜しがったのは言うまでもない。なんとかシエロを降参させてやろうと、半ば向きになったように無駄な貢物を続けていると言う次第だ。
「おいおい、そっちにばっかり構ってないで俺らにも何か食い物くれよ」
「うっせぇ、てめえらはこれでも食ってろ」
 呆れたような他の海賊仲間の催促に答えてぞんざいに差し出したのは、しかし海賊たちの定番料理サラマガンディ。サラマのあだ名の由来ともなっている、いわば料理長のお任せサラダだ。
 魚、貝に加え海亀などの肉もたっぷり入り、さらにそれを香草類、椰子の実の芯、大蒜とともにマリネし、固ゆで卵、玉葱のピクルス、キャベツ、葡萄、オリーブとともにさらに盛り付けた香辛料の利いたピリッとした風味の料理である。
 彼らはそれを黒麦パンやチーズ、肉の燻製などと一緒に大量の酒で飲み下している。
 ちなみに彼ら海賊が好んで呑む物はボンボと呼ばれるラムに水、砂糖、ナツメグを混ぜたものや、ラムファスティアンと言うシェリー、ジン、麦酒に砂糖や生卵を混ぜたような口当たりまろやかで風味の良い酒だ。他にもブランデーやシェリーなども好まれ、要するに大量の酒が店内では出回り山積みになっていた。
 とっても美味しいけれど辛味も強い料理を四苦八苦しながら食べていたジェムであるが、
「しかし今日もジェムは災難だったね」
 ふいにシエロにそう声を掛けられ振り返った。サラマの持ってきた果物を食べきった後、糖度の高いギュミル諸島名産の暗紫色の葡萄酒を水のように飲みながら、シエロはけらけらと笑う。
 その後ろではシエロに再・再挑戦をするらしく、新たなる食材を探しにサラマは余念がなかった。
 ちなみにシエロは食べられる食材がとても少ないため無理しない方がいいとジェムはサラマに忠告をしたりもしたのだが、「ならば食べられる食材を使って相手に悲鳴を上げさせるのが自分の意地だ」という返答が返ってきた。なにやら、やる気の使いどころを間違えているような気がしないでもないジェムである。
「そうそう。よりにもよってとんでもない所に迷い込んだらしいな」
 中身をなみなみと注がれたジョッキを片手に、頬を染めたダリアも話に加わり肩をすくめる。さほど酒には強くはないらしいダリアだが、まだまだ限界にはほど遠いらしく顔はほのかに赤いが意識ははっきりしているようだった。
「お前が入り込んだのは、このデザイアでも特に性質の悪いところだぜ。うっかり入り込んだ奴が翌朝死体になって通りに転がっていても誰も驚かない。それどころか、ここぞとばかりに押し寄せて金目のものをひっぺがすような場所だ。なぁんでそんなところに行っちまうかな」
「まったくよ。いきなり走り出して行っちゃって。こっちはとっても心配したのよ」
「はぁ……すみません」
 可笑しそうに腹を抱えて笑うダリアに、ぷんぷんと腹を立てているフィオリ。ジェムは二人を前にただただぺこりと頭を下げる。
 なにしろグレーンとの約束を守ろうと思うと、誰と会ったか、何を目にして走り出したのかは黙っていざるを得ない。ジェム自身、あまり機転が利くほうでは無いと分かっているのだから余計に口をつぐまずにはいられなかった。
「お陰でまだシエロの聞いてきた情報だって、教えてもらっていないままなんだから」
「ああ、そうだ。シエロさん、何か分かりましたか?」
「う〜ん、それがねぇ……」
 しかし矛先を向けられたシエロは、幾分か言いづらそうな様子を見せる。
「もしかすると、あまり良くない情報だったんですか?」
「いやいや、そういう訳ではないんだけどね」
 最悪の状況を想定して思わず顔を青ざめさせるジェムに、シエロは慌てて首を振った。
「じゃあ、ぼくにも聞かせて欲しいねぃ」
 片手に瓶を掴んだエジルもひょこひょことやってくる。彼はダリアとは違ってだいぶ酒に強いらしく、先ほどからブランデーを何本も空にしている。
 シエロはそんなエジルに視線を向けると、軽く肩をすくめて話を始めた。
「うん。どうやら皇子様は、まだどこかで生きている可能性が高いみたいなんだ」
 そう判断される理由となったのは、ここ海賊島で見つかったある品じな。この島では盗品、密輸品、略奪品と正規の品以外にも様々なものが売り買いされるが、つい半年ほど前に、そんな中でも特に珍しい品が取引されたことがあるらしい。
 それは海大神殿でも皇族の人間のみが使う事を許された紋章をあしらった服や装身具やら一式。しかもそれは、どうやらかの皇子殿下が行方不明になったその時に身に付けていたものであるらしい。
「そうした品々は時期や場所を微妙にずらされて市場に出回ったらしい。それはおそらく皇子殿下かその近くにいる人間が自らの意思でそれを売り払ったからだろうと情報屋は言っていたよ」
 海大神殿の皇子が行方不明になったのは航海中の船の上。もしも事故か事件に巻き込まれて死亡し、遺体が海に捨てられたのだとしたらそうした道具が市場に出るはずがない。また、もしその事件に関わった加害者なり第三者が皇子からそれらの品々を盗んで売ったのだとしても、そうすると不自然に時期がずらされた理由が分からない。
 なぜならそのような事を行う理由があるとすれば、それはこの売買を目立たないようにするために他ならないず、またそうする必要があるのは自身を探されては困る者と想像に難くない。
「だってもしもそれが犯人や泥棒の仕業だとしても、わざわざ何度かに分けて売却する理由がない。むしろ一度に手放して、とっとと行方をくらませたほうがいいに決まっている。それならば、皇子殿下本人か周りの人間が、自分の意志で売ったのだと考えた方がよっぽど理にかなっているよ」
 と、ここまでが情報屋から仕入れてきた話だとシエロは締めくくった。
「もうちょっと時間を掛ければ、いつ頃、誰が売りに来たのかも追跡調査をしてくれるとも言っていたけどね。でも今判明しているのはそれだけで、かの人がどこにいて、今でもまだ無事にいるのかは不明のままだ」
「だけど、少なくともその時点ではまだ皇子殿下が生きていたというのは確実なのよね」
 他人事ながらもフィオリはほっとしたように胸を撫で下ろす。ジェムも同じく嬉しそうに頷いた。
「ご無事なようで本当によかったです」
「でも、それならどうして皇子様は自分からいなくなってしまったのかしら。こんなにたくさんの人が心配しているというのに」
「まぁ、それは本人に聞くしかないんじゃないの?」
 ほっとした反動で皇子に対する怒りが込み上げてきたらしく、むっとした表情を浮かべるフィオリにシエロは肩をすくめる。ジェムもまたうなずいた。
「それにやっぱりエジルさんがおっしゃっていたように、何か理由があって姿を隠さずにいられないのかもしれないですね。そしたらその原因を取り除かない限り、皇子様はずっと戻って来れないままなんじゃないかな」
 皇子殿下がどこに潜伏しているにしろ、大切な家族や友人たちに心配をさせたまま隠れ続けているのは辛いことだろう。できることなら早くその要因を取り除いてあげなければならない。
「そうだね。でも、俺らが頼まれていたことは飽くまで皇子殿下の情報を集めることで、殿下を探せとは言われてないからね。そこらへんはマレー提督に任せるなり海大神殿に任せるなりするしかないんじゃないのかな」
「あっ……はい。そうですね」
 ジェムははっとしてうなずいた。皇子殿下のことは気になるけれど、自分たちには巡礼という役目がありゼーヴルムの行方だって探さないといけない。いくら心配だからといって同時にいくつものことに手を出すことは不可能なのだ。
 しかしジェムはいくら頭でそう理解していても、考えを廻らせることだけはどうしてもやめることはできなかった。
「やっぱりこれって、十六年前のことと何か関係があるのかな……」
「十六年前? なんのことだい?」
 ジェムの独白を聞きとがめて、シエロが不思議そうな顔をする。
「えっと、その……っ」
 ジェムは慌てた。それを説明しようとすると、必然的に昼間グレーンに会ったことまで話さないといけなくなる。だからどうにか話の矛先を逸らそうとしたのだが、
「ああっと、その……そ、そう言えば、グレーンさんはまだ戻っていらっしゃっらないのですか?」
 むしろ思いっきり墓穴を掘る羽目になり、ジェムは心の中でがっくりと肩を落とした。
「グレーン? そう言えば、今日は昼間っから姿が見えないな。どこに行ったのやら」
 赤い顔で杯を傾けながら、ダリアは不思議そうに呟く。しかしその言葉にむしろジェムは違和感を覚え首を傾げた。確かグレーンはダリアの命で仕事をしていると言っていなかっただろうか。
 だがジェムがその疑問を口にするよりも早く、当の本人が会場に飛び込んできた。
「ダリア、ここにいますかっ?」
「何があった、グレーン!」
 杖を突きながら大急ぎで歩み寄ってくるグレーンの剣幕に、常ならぬことがあったかとはっとダリアは顔をあげる。その瞬間、ダリアの目からはこれまでのほろ酔い加減の調子は完全に払拭される。
「すぐに出港準備に移れますか?」
 ダリアの前に出てきたグレーンは、軽く息を整えると真剣な眼差しで自らの首領に伝える。
「あなたの追っていた私略船の居所が判明しました。奴らは再び封印石の取引を行おうとしているようです。急いで出発すれば、追い詰められるかもしれません」
「本当かっ。よくやった!」
 顔を輝かせたダリアはグレーンの肩を力強く叩いて労をねぎらうと、そのまま勢いよく傍らの机の上に飛び乗った。
「てめえら、聞けっ!」
 何事かと視線の集中砲火を浴びたダリアは、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
「宴会はここでいったん中断だっ。グレーンが俺らの宿敵、腐れ海蛭野郎どものねぐらを突き止めたぞ。逃げられねえうちに、とっとと追いかけようぜ!」
 ダリアは室内の海賊たちに向かって高らかと咆え立てた。
「野郎ども、すぐさま出航準備に取り掛かれっ!」
 船長の号令に海賊たちは沸き立った。