≪黒薔薇狂詩曲≫

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05 気高き少年

 

 力が欲しかった。
 彼を守るための力が。
 理想に燃え、誇り高かった彼が現実に打ちのめされていくその姿に、少年が願ったのはまたしてもそれだった。
 力を私欲で使ってはいけない。彼は少年にそう諭していたけれど、これは自分ではなく彼のために欲する力だから。
 それが詭弁であることは他ならぬ自分自身が一番良く知っており、迷いは常に付きまとっていたけれど、傷付く彼の姿が目に入るたびに決意はどんどんと固まっていった。
 力が欲しい。
 どんな力でもいい。力さえあれば。
 そんな気持ちが頂点に達した時、思いがけず少年に救いの手が差し出された。
(願いをかなえよう。君がそれを、心から望むならば――)
 少年は飛びついた。
 それがもたらす結果に思いをめぐらす余裕もなく。
 それを与えたものが、神か悪魔か考える余裕もなく。


 

 
 眠気を誘う電車の振動に身を預けながら、あたしは再び頬を赤く染め、ひっそりとため息をついた。
 数日前の淳哉と昭仁の兄弟がやってきた時の態度を思い出し、うっかり自己嫌悪に駆られてしまったのだ。
(――あんな反応するなんて、子どもじゃないんだから)
 むしろあそこは怒る場面だろう。子ども扱いしないでくれ、と。実際自分はもう中学生なのだ。頭を撫ぜられて喜ぶ年齢はとっくに過ぎている。あんなことされても、ちっとも嬉しくなんかないはずなのに。
「むしろもっと年相応に扱ってくれればいいのに。……ねぇ、スゥちゃん」
 あたしは囁き、ポケットの中の小さな鈴に指先を触れる。
 手のひらに楽に握りこめるような大きさの、比較的柔らかな金属でできた楽器は答えるようにチリンチリンと鳴った。
 だけどもちろん、これはただの鈴なんかでは無い。
 何を隠そうこれは四ノ宮一族の使役の能力者、昭仁から贈られたたものなのだ。

 
 カップに残るお茶を飲み干すと、昭仁は「ではもうお暇をしよう」と誰にともなく言った。
 いや、たぶん明らかにあたしに向かって言っていたのだろうけれども、あまりにも茫洋とした物言いに一見単なる独り言にも聞こえてしまうのだ。
「えっ、もう少し居ても構いませんよ」
 あたしはさっきまでの気まずさも忘れて思わず彼らを引きとめた。第一たぶん美登里さんのことだから、彼らの分も考えて夕飯の材料を買っていることだろう。だけど淳哉は首を振った。
「いや、俺らもあんまり長く外に出てられないからさ。飯ご馳走になるのはまた今度な」
 そう言って本当に困ったように笑うから、さすがに強くは引きとめられなかった。玄関まで見送っていると、ふいに昭仁は言った。
「そう言えば、君にはあげるものがあった」
 彼が懐から取り出したのは小さな一個の鈴だった。親指の爪ほどの大きさの鈴で、綺麗な赤い組紐が付いている。
「あの、これなんですか?」
 恐るおそる訊ねると、彼は鳴らしてみるように指示をする。不思議がりながらも手にとってその鈴を振ると、思った以上に可愛らしい音が、チリンチリンとあたりに響いた。そして――、
「うわっ? こ、これって!?」
 あたしはぎょっと自分の目を疑ってしまった。
 それは本当に唐突に、目の前の何もなかったはずの空間にぴょこんと小さな生き物が出現したのだ。
「自分の使役する使い魔だ。言うなれば管狐のようなものかな。何かの役に立つというものでもないが、持っていてくれ」
 昭仁は淡々とそう言っていたけれど、あたしは声も出なかった。
 見た目は手のひらにすっぽり収まるサイズの鼠、というよりかはあきらかにハムスター。赤茶色の毛並みはつやつやのフカフカで、おでこに鉛筆の先ほどの小っちゃな角が付いている。
 その子はやけに人懐っこくあたしの指に擦り寄ってくる。
 何というかその生き物は、恐ろしく、まさに言葉も無いほどに――可愛らしかったのだ。
「え、えっと、この子の名前はなんていうんですか」
 にやけそうになる顔を堪えながらどうにか訊ねると、こともなげに昭仁はうなずいた。
「名前は君が付けてくれ。使い魔はその名を定め、呼ぶ者に従うと性質がある」
「ちなみにアニキはすっさまじく命名センスが悪いから、参考にしないように」
 淳哉は顔を引き攣らせ首を振った。
 だいたい見えなくなるからインビジブルだなんて、そのまんますぎだろう。とため息をつく。
「分かりやすい方がいい」
「いや、それでもさ。さすがにもうちょっと何か考えるとか」
 自信たっぷりにうなずく昭仁と、呆れたようにため息をつく淳哉。そんなやり取りを聞くとはなしに聞き流していたあたしは、ふいに天啓のように素晴らしい名前がぴんと思い浮かんだ。
「……スゥちゃん」
「へっ」
 淳哉がぎょっとこちらを見る。
「鈴から出てきたから名前はスゥちゃんで」
 あたしはかなりの自信をもって決めたのだけれど、淳哉はそれを聞くなりがくりと肩を落とした。
「そうか、あんたもアニキとおなじ人種か……」
「な、なに? これじゃ駄目なら、じゃあリンちゃんとか――、」
「いや、いい名前だ」
 昭仁かしみじみと頷いた。
「よろしくね、スゥちゃん」
 あたしがその手触りの良い毛並みをそっと撫ぜると、スゥちゃんは気持ち良さそうに目を細めあたしの指に擦り寄った。ホント、どこぞの吸血鬼よりもずっと可愛らしくて愛嬌がある。
 あたしはあっという間にこの小さな使い魔が大好きになってしまったのだった。


 

 
「人目のある所じゃ出せないから、ごめんね」
 スゥちゃんの宿った鈴を口元に寄せてそっとささやく。
 普段から持ち歩いてくれ、と言う昭仁の言葉もあって、とりあえずここ最近ずっとあたしはこの子を連れて歩いていた。けして邪魔になる大きさではないけれど、正直何の役に立っているのかいまいち分からない。まぁ、可愛らしくて気持ちが和むということはあるのだけれど。
 ちなみに今日は先日の買い物の仕切りなおしだった。現地集合はやめてくれとかなり本気で頼んだのだけれど、それは相手の都合で叶わなかった。
 例によって例のごとく嫌な予感を感じないでもなかったけれど、こうなればもう外れてくれることを天に向かって祈るしかない。
 もっともあたしの神様はかなり天邪鬼な性格なようなので、こうした願いが叶えられることは滅多にないのだ。……また現地に着いてから延期は、正直勘弁してほしい。
 あたしは駅構内をそんな他愛もない考えにふけりながら歩いていたのだけれど、ふいに気がかりなものを見つけ足を止めてしまった。

 
「いいから財布の中にあるものを出せって言ってんだろっ」
 わずかに甲高い声がきんと反響するように構内に響く。
 声の出元は駅の中でも壁際の目立たない一画。一人の少年が、同年代と思わしき複数の少年たちに囲まれていた。
「……」
 追い詰められていた方の少年は、何も答えずそっぽを向く。周りの彼らはさらに声高に詰め寄るが、しかし聞く耳も持たないと言わんばかりの態度が、余計に他の少年たちを苛立たせているようだった。現に周囲の男の子たちの態度はますます荒っぽくなる。
「てめぇを見てるとイラつくんだよ。すかしやがって、何様のつもりだよっ」
「慰謝料払えよ、おまえんち金持ちなんだろっ」
 さらに生意気だなんだと口汚い罵り言葉が続く。友達同士のケンカにしては何だか様子がおかしい。
 言いがかりとしか思えないその言葉に少年は何か答えたらしいが、声が小さすぎてあたしのところまでは届かなかった。
 けれどその言葉に回りの少年たちはこれ以上ないとまでにいきり立つ。興奮した少年の一人がとうとう拳を振り上げたのがうかがえた。
「ちょっと、あなたたち何しているの!」
 さすがにもう放っておくことができず、あたしは急いで彼らの元へ駆け寄っていく。けれどその瞬間、あたしは思わず身を竦ませた。
 頭の天辺から爪先まで血液が急降下していくような悪寒。
 ここが街中である事を忘れてしまいそうな凶悪にして異質な感覚。
 もっともそれは錯覚ででもあったかのように、一瞬にして消えうせる。
 あたしは唖然として周囲を見回すけれど、ぎょっとした感じで自分に注がれている彼らの視線に我に返り、慌てて彼らに言った。
「駅員さん、こっちに向かってるわよ」
 もちろんそんな事実は無いが、嘘も方便という奴だ。残念なことにあたしの外見は誰かを威圧することには向いていない。
 少年たちは大人が来るという言葉に、慌てて逃げていってしまった。残されたのは取り囲まれていた一人の少年。
「ねぇ、大丈夫?」
 先程の妙な気配が気になっていたけれど、とりあえずあたしはそう言って彼に手を差し出した。
 
 それはちょっとびっくりするほどに、凛とした眼差しの少年だった。
 品の良い小作りな顔。たぶん小学校高学年くらいだろう。だとしたら回りの少年たちもきっと同じ年頃だったに違いない。
 まったく最近の小学生はと苦々しい思いをしていると、いきなり差し出した手を弾かれた。
「余計なお世話だ」
 あたしは思わず呆然と叩かれた手に視線を落とした。それからははっと我に返って、彼の方を見る。
「何するのよ」
「それはこっちの台詞だ」
 少年は苦々しげに顔をしかめ、睨み返してきた。
「お節介な奴め」
 傲岸不遜かつ高飛車なその態度に、さすがのあたしもひくりと顔を引きつらす。この人を人とも思わぬ態度、ちょっと誰かに似ているぞ。
「助けてあげたんだからお礼くらい言いなさいよ」
「誰も助けてくれなどと言っていない」
「でも困ってたんじゃないの」
 あたしがそう指摘すると、彼はまるでつまらない冗談でも聞いたかのように、ふんと鼻を鳴らした。
「あれくらい何でも無い。あんな低俗な奴ら、相手にするだけ無駄だ」
 あたしは思わず唖然としてしまった。
 どこのお貴族様かと聞きたくなるようなこの気位の高さ。誰に対してもこの調子なら、確かに生意気だと言われても仕方ないだろう。

門真(かどま)っ」
 
 その時、どこからか一人の少年が駆け寄ってきた。
「門真、大丈夫だった!? どこも怪我してない?」
「――英梨」
 少年は新たにやって来た同年代の彼を疎ましげに睨み付けた。少し小柄なその少年はびくりと一瞬身を強張らせたが、それでも再び門真と呼んだ彼にすがりつく。
「ごめんね、僕なにもできなくって、でも――っ」
「触るな。鬱陶しい」
 少年は触れられた腕を、まるで汚い物にでも触れたかのようにはねのけた。
 まだ幼い少年の年に似合わぬ、いや、この年齢だからこそできてしまうあまりにも残酷な態度に、あたしは思わずぎょっとしてしまう。
 英梨と呼ばれた子は反射的に口を哀しげに引き結んだが、それでもめげずに少年に話しかけた。
「ねぇ、お願いだよ。このままじゃ絶対に駄目だ。やっぱりこのことは叔父さんに相談した方が」
「黙れっ。親父に告げ口したらただじゃ置かないぞ!!」
 その途端。顔を真っ赤にした少年は、英梨と呼ばれた方の子を思いっきり突き飛ばした。

 

 

 

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