うちの因業爺――本名で言えばアルベロ=クエルチアは俗に言う大富豪に当たる。もともと家柄もそれなりに良かったらしいが、今一族を栄えさせている財産の大半が何を隠そう爺が一代にして築いたあぶく銭だ。
爺は俺の実家がある東の大陸の商人連合名誉会長とやらで、世間的には名声も金も身分もあまりある立派な名士らしい。だが、その本性はかなり酔狂ではた迷惑な業突く張りでしかない。その証に爺は三十人近い己の子どもと、百人近い孫に向かってこう言った。
『せっかく増やした金を分割されるのも腹立たしいから、俺の財産は孫の一人にまとめて譲るぜ』
そんな宣言の所為で、うちの一族はかなりの大混乱に陥った。そして始まった醜い骨肉の争い。もともと大して仲が良いという訳ではなかったのだが、相手の子には遺産は渡さんと水面下では大層な争いが起こった。
だがそんな去年の年はじめ、爺は自ら遺産相続の最有力候補としてひとりの人間の名前を口にした。
その人間こそ、遺産相続にまったく興味も関心も持っていなかった善良な呑気者――すなわちおれだったと言うわけだ。しかもその理由が若い頃の爺自身に似ていると言うものだから振るっていることこの上ない。本当にはた迷惑極まりない爺だ。
お陰でおれは命の危険を感じ、おちおち実家にも帰れなくなった訳なのだが、どうやらすでにこの学院もそれほど安全な場所とは言えなくなってきた模様である。
「てか、ベルヴァっていったい何さ?」
カームが何にそれほど焦っているのかがいまいち分からず、おれはぼりぼりと頭をかく。もっともこれまでの平和な学院の暮らしの中でおれを護ってきた護衛の、いつになく緊迫した様子は事態が抜き差しならないものである事を如実に語っていた。
「ベルヴァは、ラミアと同様イルズィオーンの部門のひとつに当たる――同胞です」
「はらから?」
カームはうなずいた。
「イルズィオーンには請け負う仕事の特性に合わせ、いくつかの部門に分かれております」
「確かそのうちひとつが、護衛を専門にするお前らラミアだったな」
カームが己を自称する際に使う『ラミア』という言葉が、実は名前ではなくセクションのひとつを示すものだと聞き出すまでかなりの苦労があった。それほどイルズィオーンというのは秘密主義の組織なのだ。だがその秘すべき内実についてカームがこれまでにないほど饒舌に語っているということは、今この状況がかなり切迫した事態に陥っているということに他ならないだろう。
……まったく、何だってこうも面倒臭いんだ。
「じゃあ、ベルヴァってのはいったいどういった事を専門にしているんだ?」
「殺人です」
「――殺人、って」
ぎょっとするおれを置き去りにして、カームは淡々と続ける。
「ベルヴァはイルズィオーンの中でも特に殺しの技量に特化した者たちです。時には傭兵代わりに用立てられることもありますが、その性質は冷酷無比の殺し屋です」
「ようするに、おれはそのご大層な殺し屋に命を狙われちまったと言うことか。つうか、お前はいったいどこからそんな情報を仕入れてきたんだ」
「イルズィオーンの連絡員からです」
至極当然の事のように言われた為、おれはその事実が意味することに気付くのが遅れた。
「ちょっと待て、……そのベルヴァという殺し屋はお前と同じイルズィオーンの殺し屋なんだよな」
「是」
カームはうなずく。
「んでもって、お前はおれの護衛のはずだ。――おまえらの組織は部下を同士討ちさせるつもりなのか?」
あまりに非常識極まりない予想におれは息を飲むが、カームの答えははっきり「是」だった。
「自分たちは部下でも人でもなく、単なる道具でしかありません。譲渡先が道具をどのように使おうと、イルズィオーンの関知するところではありません」
カームの声は飽くまで淡々として、その事実に対して何の感情も抱いていないようだった。その様子は確かに人ではなく、まるで魂を持たない人形のようである。おれはそんなカームを見て、深く息を吐いた。
「……不憫な奴だな、お前も」
「恐れ入ります」
「褒めてない。そういや、まだ答えて貰ってなかったな。結局お前らは雇い主に使えているのか、それともその家に仕えてるのか。どっちなんだ?」
「いえ、若さま。ですから今はそれどころではなく……」
「いいから答えろ」
返事を聞くまで、おれが一歩も動かないつもりである事を察したのだろう。カームはしぶしぶという調子で答え始めた。
「譲渡されたイルズィオーンの駒は、基本的に所有者の命令だけを聞きます」
「だが爺に雇われているはずのお前はおれの言う事も聞くよな」
まずこの時点でこいつの言葉は実情から外れている。
「是。自分たちは所有者が認めたときに限り、そのもっとも近しい者にも使われることがあります。それは配偶者や跡継ぎなどの血縁者がほとんどですが、若さまの場合は旦那様より直々に仕える様に命じられたため、現在自分を使用できるのは旦那様と若さまのみになります」
「じゃあ普通は跡継ぎじゃなければ、命令を聞かないのか?」
「所有者からの指定がない限りはそうです」
たぶん色んな奴らの命令を聞いていると、矛盾が生じたり、きりがなくなったりするからだろう。
「……ふぅん」
おれは手に持っていた封筒をまとめて懐に押し込んだ。そして椅子から立ち上がる。カームがやっと任務の遂行に移れるとどこかほっとしたような様子を見せた。だがその考えは甘い。
「じゃあ大丈夫だろう。下手にどこかに逃げるよりは、よく知ったここで待ち構えていたほうが安全だ」
「はっ!?」
カームはぎょっとした表情を浮かべる。最初に顔を合わせたときはまったくと言っていいほど感情を表に出さない奴だったのに、今では本当に表情豊かになったものだ。
「若さま、いったい何を言って――、」
「何って、殺し屋が向かっているんだろう? その対応策の話だよ」
「いけませんっ」
カームははっきりと否を唱えた。
「ラルヴァは訓練された猟犬です。すぐに居場所は見つけられ、あっという間に追い詰められます」
「じゃあ余計だろうよ」
おれは呆れた眼差しを向ける。城攻めだって、篭城している相手を落とそうとしたらその三倍の兵力が必要になるというのは常識のことだ。
「それは……常識なのですか?」
「一般常識だ。試験にも出るぞ」
おれは躊躇するカームに向かって言った。
「夜明けだ。夜明けまでしのぎ切れればそれでいい。おれを信じろ」
カームが訝しげな顔をおしげもなくおれに向けてきた。
……何とも失礼な護衛だよな。
|