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        ≡ 執事録シリーズ 1 ≡

二人の執事 (1)  ‐‐‐

 

 
 しゅう――と、白い蒸気が吹き上がった。

 スチームが適温に達したのを見て、彼は濃色の布地を台に乗せる。 置かれた時点ですでに丁重に形は整えられてあったが、ふと目をすがめ彼はちょいちょいっとプリーツの位置を指先で調節した。
 かなりの念の入れようだが、ここが大切なポイントである。

 彼は中等部の制服のスカートを前にアイロンを構える。
 さぁ、これで準備は完璧だ。あとは一切余計なシワをつけずに美しく折り目をつけるだけ。
 しかしこれこそが最も重要にして、難しい作業なのだ。

 ――なにしろこれで、どれだけ可憐に愛らしく、スカートの裾がひらめくかが決定する。

 彼は精神を統一させ、一息にアイロンを滑らせた。

「斎藤――――っっ!!」

 ばたんっ、と突然けたたましい喚き声と共に扉が開け放たれた。

「いくらなんでも見損なったぞっ! まさかお前がそこまでする奴だったなんて……っ」

 ばたばたと靴音をさせながら騒がしくやってきたのは、一人の若い白人男性だった。
 きちんと撫で付けられた金髪に鮮やかな青の瞳。甘く華やかな容貌は何よりも女性の目を惹きつけることだろう。

 しかしプリーツを美しく仕上げることに集中している彼は、そんな闖入者にはそよとも動じない。ただ黙々とアイロンを掛け続けている。

 金髪の男性は顔を真っ赤にして再度がなりたてた。

「おいっ、聞いているのか。斎藤!」
「……聞こえておりますよ」

 斎藤と呼ばれた男はすっと生地からアイロンを離し、顔を上げる。金髪男性は不愉快そうにむすっと顔をしかめた。

「じゃあ、ちゃんと返事ぐらいしろよっ」
「仕方ありませんでしょう。制服のアイロン掛けは、何よりも慎重さが要求される繊細な作業なのです」

 そう言って摘み上げたスカートはいっそ芸術的と言ってしまえるほどに美しく、かつ完璧なプリーツが刻み込まれている。彼は一重瞼の涼しげな目でもう一人の男を睥睨した。

「あなたこそ何ですか、セバスチャン。執事たるもの常に沈着冷静に、毅然とした態度をとっていなければならないといつも言っておりますでしょう」

 それをあんなに喧しく走ってくるとは同僚として嘆かわしいと、斎藤は悩ましげに眉を顰める。しかしセバスチャンはぐっと彼の襟を掴んで怒鳴った。

「そんなことを言っている場合じゃないぞ、斎藤!」

 セバスチャンは顔を寄せると、押し殺したような声で斎藤を糾弾する。

「お前……、お嬢の下着を盗んだだろうっ!!」
「はぁ?」

 斎藤は胡乱な眼差しで己の同僚に視線を返した。


 

 斎藤とセバスチャン――二人は共に、『錦織』と言う名の知れた一族に仕える家令である。
 家令、と言うとかなり時代遅れの職業のように聞こえるが、現代流の言い方をすれば

 彼らはずばり、本物の『執事』なのだ。

 錦織家は元を辿れば公家・華族の時代から続く名家であるのだが、その当主は皆をして代々一風変わった性格をしていた。
 なにせ彼らはこれでもかと言うほど由緒正しい生まれでありながら、その心根は山師もかくやというぐらいに、豪胆というか冒険心旺盛というか、とにかくまったく物怖じしない博打打的な性格をしているのである。

 しかもその山っ気がことごとく大当たりし、一族の当主は江戸の終わりの文明開化の折にも、戦中戦後の日本経済の混乱期にもその巧みかつ大胆不敵な発想で商売を成功させ、家を盛り立ててきた。

 現在の錦織家の主にもその性質は余すことなく受け継がれており、現・当主夫妻は外つ国で一旗上げようと二人揃って海外に長期滞在中である。そのため日本の本宅には、彼らの愛娘であるまだ13歳の少女、錦織莉緒だけが残されることになった。

 執事の仕事とは本来、家務の一切を管理し多くの使用人を監督すること。
 だが保護者も持たずたった独り屋敷の切り盛りを任されたお嬢様を見るに見かねて、第一執事たる斎藤と、第二執事たるセバスチャンは、彼女を守り支えることこそを目下の勤めとしているのである。

 
 ――――表向きは。


 
 

「前々からヤバい奴だとは思っていたけれど、まさかついに犯罪行為に走るとは見損なったぞ、斎藤っ!」
「落ち着きなさい、セバスチャン」

 斎藤はぴっと前身頃を引き、襟首を掴んで揺さぶるセバスチャンの手を振りほどく。セバスチャンははっとして顔を上げた。

「落ち着いて、何があったか説明なさい」

 動じることなく淡々と説明を求める斎藤に、我を忘れかけていたセバスチャンはバツが悪そうにあごを引いた。

「先ほどお嬢に呼ばれて相談されたんだ。……自分の下着が何枚か、紛失してると」

 
 聞けば錦織のお嬢様は、ふと洋服ダンスの中から数点のランジェリーが見当たらなくなっていることに気が付いたらしい。
 洗濯に出していた分も先ほどタンスに戻されたばかりなので、クリーニング中ということはない。
 ならばこれは噂に聞く下着泥棒の仕業ではないか、とセバスチャンに相談したという訳である。


「――つまりあなたは、わたくしをその不届き極まりない下着泥棒ではないかと疑っていると、そう言うわけですね」

 斎藤は刺すように冷たい眼差しをセバスチャンに向けるが、彼はためらうことなくうなずく。

「お前の普段の言動を顧みて、けして有り得ないことでは無いと判断した」
「返す返すも失敬な。私は清廉潔白な執事ですよ」
「そうだな、表向きはな」

 セバスチャンはひどくつまらない冗談でも聞いたように鼻を鳴らした。

 確かに斎藤は若くして近年稀に見るほどの完璧な執事だ。
 沈着冷静にして有能怜悧。自分の仕える主であるところの莉緒お嬢様に対する溺愛っぷりは同じ館に使える使用人の間では知らぬ者はいないというほどであるが、それでもお嬢様本人にたいしては甘やかすことなく常に一歩離れ、厳格な態度を貫き通している。
 その万能な仕事ぶりは、他の使用人たちから尊敬を通り越して崇拝の眼差しを向けられているほどだ。

 だが、唯一同じ執事であるセバスチャンだけはそんな彼の本性を知っている。
 いや、彼ひとりに対してだけまったくもって隠そうともされていない、と言ったほうが正しいだろう。

「とにかく、俺だけはお前の外面には騙されないんだからな!」
「……まったく、見当違いも甚だしいことです」

 気焔を上げるセバスチャンに、斎藤は呆れた表情で首を振った。

「わたくしがどれだけお嬢様を慕っているか、誰よりも良く知っているのは他ならぬあなたでしょう。それなのに真実、このわたくしが、敬愛するお嬢様の下着を盗むだなんて大それた事をする人間だと本当に思っているのですか」
「む……。いや。それは――、」

 一歩たりとも怯むことなく、毅然としてなされる反論。その異議を許さない堂々とした態度にさすがのセバスチャンも思わず口ごもる。
 なにしろ今は状況証拠どころか、セバスチャンの印象以外に彼を犯人として指し示す根拠はありはしないのだ。

 斎藤は濁りの無い氷河を思わせる視線で、自分より頭ひとつ高いセバスチャンを冷たく睥睨した。

「どうやらあなたは、わたくしという人間を勘違いなさっているようですね。セバスチャン」
「……うっ、すまない」

 ほのかに怒りすら孕んだ居丈高な態度に自信の程をガラガラと突き崩され、とうとうセバスチャンはがっくりと膝を着いた。打ちひしがれたように肩を落とす姿は、ある意味清々しいまでにヘタレである。

「だいたい考えても見なさい、セバスチャン」

 そんなこっけいな彼を見て気が済んだのか、斎藤はわずかに口調を和らげた。

中身(からだ)も一緒に頂けると言うのならともかく、どうしてわたくしがレースとフリルのついた淡い色の下着類なんてわざわざ盗まなくてはならないのですか」

「やっぱり盗んでるじゃないか――!」

 がばりと立ち上がって目をむくセバスチャンに、斎藤はしれっと肩をすくめて見せた。

「冗談ですよ。単にお嬢様の好みの下着の傾向を熟知しているだけです」
「それもそれでどうかと思うが……ってか、そういう事ばかり言ってるから下着泥棒してもおかしくないと思われるんだろうっ!」

 セバスチャンがそう詰め寄ったとき、ぱたぱたと軽やかな足音に続き、まるではばかるようにそっと扉が開かれた。

 
「斎藤!」

 そう言って跳ねるように駆け寄ってきたのは、愛嬌のある可愛らしい顔立ちの少女――錦織家のご令嬢、莉緒だった。
 当たり前のように抱きついてくる少女を受け止めて、斎藤は途端に融通の利かなそうな生真面目な従僕の顔で主人をたしなめる。

「お嬢様、僭越ながら言わせて頂ければ、廊下を走ることはご身分に相応しからぬ行いであるかと存じます。また年頃の娘がそう軽々しく父親以外の男性に抱きつくのもいかがなものであるかと」

「分かっているわ。だけど斎藤だから別にいいじゃない。もう、相変わらず口うるさいんだから」

 莉緒はぷっくりと頬を膨らませる。
 先日13歳になったばかりとは言え、その年齢を考えれば幼い仕種だ。だがまだ稚い顔立ちからはさほど違和感を覚えない。
 莉緒はそれからはっとした表情で顔を上げた。

「それよりも大変なことが起こったの! 下着泥棒があらわれたのよ」
「はい。セバスチャンよりうかがっております」

 その言葉に、莉緒はようやく所在無く立ち尽くしているもう一人の執事の存在に気がついた。

「あら、セバスチャンいたの? 下着泥棒に心当たりがあると言っていたけど、やっぱりあなたも斎藤に相談に来たのね」

 そう言って無邪気に笑う女主人に、まさか貴女が抱きついている相手こそが犯人候補だとは言えず、セバスチャンはひくりと顔を引きつらせた。

「お気に入りの下着ばかりが何点も盗まれているの。ねぇ、斎藤どうしたらいい?」
「はい。それは大変由々しき事態にございます」

 不安げに自分を見上げる莉緒の目を見つめ、斎藤は真剣にうなずく。

「下着泥棒はその行い自体も非常に悪辣でございますが、何よりも問題なのはその行動がエスカレートしていく可能性があることと存じます」

 斎藤は続ける。

「始めは下着類を盗むだけかもしれませんが、しかし下手人は次第にそれだけでは満足できなくなってまいります。嘘つきは泥棒の始まりと申しますが、下着泥棒の悪行は例えば盗撮やストーキング行為などに発展し、果てはお屋敷に侵入してくるまでの暴挙をしでかすやもしれません」

 そうして実際にあった言う下着泥棒から始まった凄惨な事件の例をいくつか挙げていく。
 斉藤の語りは飽くまで淡々とした感情の起伏を交えないものであったが、その分意味するところをまざまざと浮き彫りにしていた。

 思いもよらぬ恐ろしい可能性を提示され、莉緒は途端に顔を真っ青にし怯え始めた。

「いや、そんなの怖いわ……。ねぇ、斎藤どうしたらいい?」

 先ほどよりも幾分か真剣な様子でしがみ付くお嬢様を、しかし斎藤は落ち着いた眼差しで優しくなだめた。

「ご心配には及びません、お嬢様。わたくしがおります」

 斎藤は自分の袖を硬く掴んだ指にそっと手を添えた。

「例えどのような悪漢が屋敷に忍び込もうと企んでも、わたくしの目の黒い限りはけしてそんなことはさせません。またお嬢様のお心を悩ませる泥棒の件に関しましても、必ずやわたくしが解決して見せてごらんになりますので、どうぞご安心を」

 耳元で低くささやかれ、お嬢様は途端に落ち着かぬ様子で身じろぎをする。
 まだ年若い彼女に男性への免疫がほとんどないということもあるが、それ以上に斎藤の声は 意識的にか無意識にか、時々無駄に色っぽい。

「いかがなさいましたか、お嬢様?」

 何食わぬ顔でそう呼びかけられ、莉緒はほんのり頬を赤く染めてそそくさと斎藤から身を離した。

「わ、分かったわ。任せたわよ、斎藤。そう言ったからにはきちんと犯人を捕まえてね。さもなきゃ承知しないわよ」
「かしこまりました、お嬢様」

 斎藤は深々と頭を下げる。莉緒はふと上目遣いに自分の従僕を見た。

「……頼りに、しているんだからね」

 かすめる様にそっと斎藤の顔に触れ、お嬢様は部屋を出て行った。


 

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