≡ 執事録シリーズ 1 ≡

二人の執事(2)  ‐‐‐

 


 

 その後姿を最後まで見送った斎藤は、部屋の中に唯一残っていた現在の同僚にぼそりと言った。

「セバスチャン……しまった」
「ん、どうした?」
「鼻血が出そうだ」
「っ!! お前は本当に根っからの変態だなっっ」

 自分に正直な同僚を怒鳴りつけ、セバスチャンは憮然とした表情で斎藤を問い詰める。

「それよりもどうするんだよ。下着泥棒を捕まえるなんて安請け合いして、本当にそんなことできるのか」
「まさか。いくらなんでも無理ですよ」
「お、おい!」

 しれっと答えられた返事にセバスチャンはぎょっとする。

「だけれども、解決することだけならば可能です」

 斎藤はすたすたとどこかに歩き出す。その後ろをセバスチャンは慌てて追いかけた。

「おい待てよ、どこに行くんだっ」
「今回の事件における解決の一手を握る人物の元へです」
「ま、まさか……お前には心当たりがあるのか!?」

 斎藤は答えず、足早にある場所へ向かう。そしてついにそこへ到着した時、セバスチャンはぎょっと目を見張った。

「ここは――ランドリー室じゃないか……」

 そこは屋敷内のすべてのクリーニングを担当している洗濯部屋だった。
 斎藤は躊躇うことなくランドリー室へ入る。

「失礼します。佐和子さんはいらっしゃいますか」
「はいはい、いるわよ」

 斎藤の呼びかけに応えて現れたのは、ベテランの洗濯女中――四十の大台もとっくに超えた恰幅の良いおばちゃん、保科佐和子だった。

「あらどうしたの、斎藤君。ここに来ても洗濯前のお嬢様のパンティなんてあげられないわよ」
「あなたまで何をおっしゃいますか」

 笑い混じりの遠慮ない調子で掛けられる軽口に、さすがの斎藤も思わず苦笑する。

「実はお嬢様の下着が数点見当たらないらしいのですが、佐和子さんに心当たりはございませんか」
「ああ、あるわよ」

 あっさりと返された答えに驚いたのは、斎藤ではなくそれを傍で聞いていたセバスチャンだった。

「ちょっ、それマジ!? おばちゃんっ」
「だ〜れ〜がおばちゃんだって、セバスチャン」
「ごめんっ、間違えました。おねえさまっ」

 ぎゅーぎゅーとほっぺたをつまむ指から半泣きで逃げ出し、セバスチャンは慌てて謝る。佐和子は満足そうな顔でうなずき、斎藤に向き直った。

「それで、心当たりとはどのようなことなのですか」
「別に大したことじゃないわよ。お嬢様がお使いになっている下着の中に、使い込んで生地が薄くなったり古くなったものが何枚かあったから先日まとめて処分したのよ」

 それが何か、と佐和子は不思議そうな顔をする。しかし斎藤は済ました表情でうなずいて見せた。

「なるほど、承知いたしました。ではお嬢様が気にしておいででしたので明日にでも教えて差し上げて下さい」
「分かったわ。だけど斎藤君、いくら君の頼みでもお嬢様の古下着はあげられないからね」

 悪戯っぽく言われた言葉に斎藤は肩をすくめてくすりと笑う。

「いやですね、佐和子さん。わたくしがそんな事言うなんて思いますか」
「分かってるって。いつも真面目な斎藤君をちょっとからかってみただけよ」

 和気藹々と笑いあう二人を見ながら、ただ一人セバスチャンだけは

「こいつなら有り得なくもない」

 と、至極真剣にうなずいていた。


 

「ところで斎藤。どうしてお前は真っ先に洗濯場に向かったんだ?」

 すっかり真相を解明し、ランドリー室から戻る途中セバスチャンは斎藤に訊ねた。

「もしかすると下着泥棒なんていないと始めから分かっていたのか」
「当たり前じゃないですか」

 斎藤はわずかに眉を顰めると、当然の事であるかのようにあっさりとうなずく。セバスチャンはぎょっとして目を見開いた。

「へっ!? ちょっと待てよ、いったいどうして当たり前なんだっ」
「考えても御覧なさい。いくらどんなに物好きな下着泥棒がいたとしても、ここのような大きなお屋敷に忍び込んでまで下着を取りたがると思いますか」

 セバスチャンはぶんぶんと首を振る。
 錦織のお屋敷のセキュリティーはかなりしっかりしている。屋敷のあちこちに監視カメラが設置されているし、夜になれば庭には番犬が放し飼いにされる。斎藤が目を光らせるまでもなく、屋敷に忍び込むのは至難の業なのだ。

「泥棒だって下着なんかのために、苦労するのが分かりきっているお屋敷を狙いませんよ。もしも何者かが侵入したとしても、それは金目のものを盗むためだと決まっています」

 それはまさしく納得のいく推理である。セバスチャンはただただ素直に感心して、今度はもうひとつの疑問を斎藤にぶつけた。

「じゃあ真相を伝えるのを佐和子さんに任せたのはなんでだ?」

 斎藤は自分で言うのではなく、洗濯女中の佐和子に手柄を渡すような真似をした。それが先輩女中に対する譲り合いの精神から来るものでないことは、誰よりも同僚のセバスチャンが良く知っている。

「別にそんな面倒な回り道をしなくても、お前が今からお嬢に教えにいけばいいじゃんか」
「それはできませんよ」

 不思議そうな顔をするセバスチャンに、静かに首を振ると彼は言った。

「お嬢様は下着がなくなったことを下着泥棒の所為だとすっかり勘違いなさっておいででした」

 だからこそ居りもせぬ犯人に怯えて、斎藤に解決するように命じられたのだ。
 もっともそう勘違いしていたのはセバスチャンも同様であるが。

「それなのにわたくしがそれを単なる早とちり、勘違いだったのだと伝えてしまえばお嬢様に恥をかかせる事になります」

 有能たる執事としては、主人の面目を潰すような真似は断じて慎まなくてはならない。だからこそ自分で真実を伝えるようなことはしないのだと言う斎藤に、セバスチャンは思わず感動してしまった。

「……俺、お前をすっかり誤解していたみたいだよ。お前のことを単なる変態だとばかり思っていたが、本当は立派な執事だったんだな」

 自分ではそこまで気が回らなかった、と執事の鑑とも言えるであろう斎藤の手際にすっかり感心してうなずく。しかし斎藤は目を細めると、何食わぬ口調でおもむろに続けた。

「それにですよ、セバスチャン」

 斎藤はふふっと愉しそうに、彼に向けて晴々と笑ってみせる。

「あれだけしっかり怖がらせておいたのですから、もしかするとお嬢様が
 『今夜は怖いから一緒に寝て』
 と、わたくしに言ってくるかもしれないじゃないですか。そんなおいしいチャンスをみすみす逃す訳にはいきませんよ。もったいない」

「ぜ、前言撤回、お前はやっぱり立派な変態だ――――っ!!」

 顔を引きつらせ大きな声で斎藤を怒鳴りつけると、セバスチャンは一刻も早くお嬢様に真相を伝えるべく走り出した。


 

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