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≡ 猫舌屋あやし目録 ≡

 

 

 長閑で呑気な住宅街の中に、その店は突如としてあったりする。

 それは都心と呼ばれる繁華街から電車一本で着ける、まぁ一応そこも都内には分類されているけれども都会と言うよりはもうちょっと田舎臭い町の一画。
 どことなく昭和初期の馨りを漂わせている(けれど実際には単に古くてボロいだけだったりもする)年季の入った木造立ての、風呂屋だか駄菓子屋だか雑貨屋だか良く分からない古風な店構え。
 たぶん一見してこの店がどんな商いをしているのか、判別できる人間はそうはいないだろう。
 何せ怪しげなことこの上ないこの店の店頭には、同じく怪しげな本やら服やら薬やらが雑然と並べられている。
 そのうえお役所に届けられている登記上ではなんとなく古書店となってはいるものの、肝心の店主自身からしてこの店が果たして何屋なのかを失念しかけている節がある。

 有体に言ってしまえば『猫舌屋』とは、そんな摩訶不思議な店なのである。


 

 風薫る五月と言う言葉もあるが、この国ニッポンでは今の季節がもっとも心地よく過ごしやすい気候であると言われている。実際日向にいれば汗ばむほどの陽気だが、カラリと乾いた風が体感温度をちょうど良い具合に下げていた。
 こんなに天気がよいとなると意味もなくふらりと外に出たくなると言うのが、いわゆる人間の性というやつだろう。

 例えばここ、猫舌屋の店の前にも、軒先に並べられた(と言うか置き捨てられた)木箱にだらりと座り、ぼーっと煙管を吹かしている男がいる。

 ひょろりと縦に長い棒っ切れのような体格。それほど年を食っているようには見えないけれど、どこか寝とぼけたような表情がご隠居を思わせる老成した雰囲気を醸し出している。
 もっとも、それは顔だけに限ればの話である。

 なにしろこの男、格好が飛びぬけて胡散臭い。

 洋装が大勢の占めるこのご時勢に黒の着流し。しかもそれだけならまだしも足元はごつい黒ブーツで固められ、頭は真っ赤に染めあげられている。
 何ともちぐはぐと言うか、奇妙奇天烈珍妙珍奇なことこの上ない。

 道を歩けば半径三メートルは人が近付かないだろう装いだが、しかし意外とこれで近所のおばちゃんズ、子どもたちの間では見た目はアレだが気のいい青年として親しまれたりしているから世の中不思議だ。
 そしてついでに付け加えるならば、彼こそがこの店『猫舌屋』の紛れもない店主だったりすることも――意外でも何でもないかもしれない。なにせ両方共にここまで怪しければ、ミスマッチも予定調和だ。

 恐らくはうららかな初夏の陽気に誘われたのだろう。店主は朝からずっと店先でぼんやりと煙管をふかしていた。
 その様子は、傍目からは店番だか日向ぼっこだかシェスタだかいっこうに判断つかない。当然、俗に言う商売っ気などというものもまったくもって見受けられない。

 店主がこうなのは、まぁ言ってしまえばいつものことで、肝心要の彼が毎度この調子ではいつか店が潰れてしまう日もそう遠くないだろうと推測される。
 文字通り、おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし。――彼を見て驕っていると思う人間は皆無だとしても。

 しかし実際は不思議なことにどれだけ店主が怠惰に振舞おうと、この店から客足が途絶えたことは一度もない。

 なぜならこの店を訪ねる客は、その大半が何かしらの必然性を持ってやってくるから。それはまるでその運命の糸が、この店の軒にでも繋がってでもいるように――。

 
 この日もまた、柔らかな日差しを浴びてうつらうつらと半開きの目をぼんやりと宙にさまよわせていた店主の前を何かが遮った。

「ねぇ、猫舌屋というのはここの事かしら」

 彼はおもむろに顔をあげる。
 目の前に立ち塞がっていたのは、サングラスをかけた一人の女性。すらりと均整の取れた体格は立ち振る舞いからしてどこか一般人とは違う雰囲気を漂わせている。

「はぁ……お客さんですね」

 彼はすっと目を細め、ひとつ大きなあくびを漏らした。そして伸びをするついでのように立ち上がる。それは屋号が示すとおり、まるで大きな猫を思わせる仕種である。

「まぁ、こんなところで話をするのもなんなので中へどうぞ」

 意外に俊敏な動作でがらりと横開きのガラス戸を開くと、彼は何食わぬ顔で本日最初の客を店の中へ招きいれるのだった。


 

 薄暗いと思えた店内は飽くまで外と比べればのもので、いったん中に入ってしまえばさして気にならないぐらい充分な照明がついていた。
 もっともその所為でクリスタル製の頭蓋骨やら、米粒写経キットやらよく分からない品揃えまでつぶさに目のあたりにする羽目になるのだからそれも良し悪しと言ったところか。

 そんな無秩序に商品が並べ立てられた棚の抜け、店の奥に足を伸ばすとそこには一脚のテーブルがあった。たぶんここがこの店の商談用スペースなのだろう。店内の様子にわずかに躊躇っていた女性は意を決したようにそこに腰を降ろした。

「まぁ、粗茶ですが」

 からん、という涼しげな音に女性が顔をあげると若い店主が盆に飲み物を載せてやってきた。ロッカーやビジュアル系もかくやというトリッキーな格好に反して、客あしらいは意外とまめまめしい。氷の入った緑がかった液体はたぶんアイスグリーンティか何かだろう。

「あら、ありがとう」

 卒ない態度でグラスを受け取り、女性は外したサングラスをテーブルの上にこつんと置く。
 今日はかなりの上天気だ。ここに来るまでの間にずいぶん汗をかき、咽喉も渇いていた。だから何の気なしにお茶を含んだのだが、その途端、彼女は唖然と目を見開く羽目になった。

「なにこれ、美味しい!」

 口に入れた瞬間、ミントにも似た清涼感がさっと舌の上に広がった。苦味とほのかな甘みがすっきりとした後味に華を添える。これはどうもただのグリーンティでなどではない。もしかするとハーブティの一種なのかもしれないが、どちらにしてもこれまで口にしたことがないような味だ。

「とても美味しいお茶だわ。ねぇ、これあなたが淹れたの?」

 思わず本気で問い質すと、店主は首を横に振った。

「いいえ、うちには居候が一人おりましてね。今は折り悪く家を空けているのですが、そいつが出掛けに淹れていったお茶なんですよ」

 彼は肩をすくめて薄く笑う。

「見ての通り、僕はそうした卓越したセンスと技術が必要な作業には向いていない」

 とぼけた言葉は思わず彼女の笑いを誘うが、それに対する反対の意見は結局お世辞にも最後まででてこなかった。
 店主は彼女の向かいの席に腰を降ろし、やたらゆったりとして見える動作で自分自身を指差した。

「そういえば自己紹介がまだでしたね。僕はここ猫舌屋の店主、常居ツグト」
「ツネイ?」
「常に居る、と書いて常居。まぁよく仕入れや何かで店を空けることが多いから、知り合いからは稀居(マレイ)にでも変えろとよくからかわれているけれど」

 疲れ果てた老人のような口調で呟く彼に、彼女はくすくすと笑う。

「ずいぶん愉快なお知り合いが多いみたいね。やっぱりお人柄の所為なのかしら」
「それは暗に『類は友を呼ぶ』と言いたいのかな。生憎ですが僕はめっきりマトモな人間ですよ」

 彼はやれやれとため息をつき、彼女はまたおかしそうに笑った。そしてそれからはたと気づく。

「いやだわ。そう言えば私のほうはまだ名乗ってなかったじゃない。私は――、」
「ああ、自己紹介は結構です。存じてますので、國立恵理加さん」

 何気ない店主のその言葉に、彼女はぽかんと目を見開いた。アーモンド形の大きな瞳がぱちんと音をたてて瞬く。

「……あら、驚いた。失礼ですけど大衆娯楽にはまるで興味がない方だとばかり思ってましたわ。それともその……噂に聞く不思議な力で名前を知ったの?」
「違いますって。せっかくの文明の利器だ。あれば見るぐらいはしてますよ」

 店主は肩をすくめて店のさらに奥にある従業員の休憩用らしきスペースを指差す。わずかに開いたガラス戸の向こう、畳敷きの狭いスペースには昔懐かしいダイヤル式チャンネルのテレビが直に床に置かれていた。よもや白黒ではないだろうと信じたい。

「それにそんな眉唾な噂なんて信じちゃいけませんよ。僕は芸能界にはたいして詳しくは無いけれど、実力派の女優の名ぐらいは知っています」

 すると女性は途端に人形のように整った顔に、にっこりと笑みを浮かべて見せた。

「そうね。むしろそっちの方が私にとっては有り難いわ。私はまだ世間ではそれほど名が知られて無いと思ってたけど、考えを改める必要がありそう」

 作り物のように綺麗なそれは、ドラマの中でも良く見せる彼女の十八番の表情であった。


 

 國立恵理加――彼女はいわゆる役者、女優と呼び称される類いの人間だ。
 背が高くスレンダーな体躯はスタイルも良く、顔立ちは品よく整っている。これでそれなりの演技力までも兼ね揃えているのだから、一躍お茶の間の人気者になってもおかしくないのだが、惜しむらく今それは実現していない。
 世間一般での彼女の評価は、実力はありつつもどこか地味な女優というものであった。

 ようするに彼女は一流と呼び称されるには、残念ながらそれに必要なインパクト――人々に訴えるなにがしかのものが欠けてしまっているのだった。
 器用貧乏と言う言葉もあるが、なんでも卒なくこなしてしまう彼女のような人間の方が往々にして世間では損をするものだ。むしろそれならばいっそ途方もないファニー・フェースだったり、滑稽なくらい演技が大根だったりしたほうがまだ人々の記憶には残りやすかっただろう。

 もっとも、一度ならずもブラウン管に映されれば、それだけで普通の人間にとっては立派な芸能人だ。ツグトはどこか不思議そうに彼女にたずねた。

「しかし、そんな有名人さんが当店にどんな御用で。他でもないこの店にわざわざいらしたぐらいだ。そこらで用立てられるものがお入用ではないんでしょ」
「ええ、その通りよ」

 彼女は真剣な様子でうなずく。

「私、――になる薬が欲しいの」
「………へ?」

 ツグトはきょとんと瞬きをする。

 何か非常におかしな言葉が聞こえた。まさかこの薔薇のような朱唇から聞こえるとは思えない、いや、むしろ是非とも聞き間違いであって欲しい思われる単語だ。

「いま貴女、なんとおっしゃいましたか?」

 だから猫舌屋の店主、常居ツグトは信じられない思いでもう一度彼女に聞き返した。

 しかし彼女の答えは一切変わらなかった。女優、國立恵理加は至極真っ直ぐな眼差しで、寸分の躊躇いもなく、はっきりと店主に申し出たのだ。

「私は、妖怪になりたいの」

 ツグトは今度こそ呆けたように、ぽかんと口を開いた。  


 

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