≡ 猫舌屋あやし目録 ≡

 

 

 猫舌屋が建てられているこの近辺は一見何の変哲もない住宅街のように見えるが、実はまったく普通ではない。
 かと言って、別にセレブが多く住んでいたり、景勝の地だったり、名の知れた特産品があるという訳ではない。いや、ある意味特産品と言えば特産品かも知れないが。

 ここはいわば、幻想と現実が交じり合う、怪しい商売のメッカなのである。
 知名度は新宿や渋谷などには遠く及ばないが、それでもこのあたりにそうした怪しい店舗が集っていることは知る人ぞ知る、特にその筋の人間には常識というぐらいには知れ渡っていることである。

 戦後間もないあたりからこの近辺にはどういうわけか、陰陽師やら占い師やら妖怪退治屋やら宗教家やら、兎に角そういったいかにも怪しげな商売が競うように看板を掲げ始めた。
 もちろん町の住人のほとんどはそんなものには縁もゆかりも無い善良な一般人であるし、中にはペテン師まがいの偽物も多く軒を連ねている。
 それでも今のところはさしたる問題が起きるでもなく――幻想が現実を大きく侵食することもなく――穏やかに月日は流れている。

 だがそうした店々の中でもこの『猫舌屋』だけは、その一線を画していた。
 言ってしまえばここは、どこよりも限りなく幻想の淵に近い場所にある店なのである。

 だからそんな猫舌屋には、まるで当たり前のように、常識破りの品がごろごろしているのだ。


 

 彼女はかなり執心な調子で店主のツグトに問い掛けた。

「知り合いの芸人さんにね、この店で妖怪になる薬を買ったって聞いたの。あるんでしょ、そういう薬が」
「……まぁ、あるにはありますけどねぇ」

 以前訪れたお笑い芸人を思い浮かべ、彼はあまり気乗りしない様子でうなずく。二人組のその客たちは「三日間妖怪になる薬」を嬉々として買っていった。はたして何に使ったのか、今頃になってふと心配になったりもする。

「しかし貴女みたいなお綺麗な人が、どうしてそんなモノを必要とするんですか?」

 ツグトは彼女に尋ねた。
 もっともそれは疑問としてはかなり当たり前なものだろう。
 最近はテレビや漫画などのブームによっていたる分野で妖怪が認知されているけれど、妖怪なんぞ所詮イロモノでありゲテモノでありバケモノだ。彼女のような正統派の女優が妖怪になりたいなどとは普通言い出さない。
 すると國立女史はどこか困ったような、コケティッシュな上目遣いでツグトを見た。

「あのね、できればこれはひとつの例え話だと思って聞いて欲しいのだけど……」

 彼女はしばしためらった後にぽつりと呟きを漏らした。

「私には、どうしても振り向かせたい人がいるの」


 

 ようするに彼女には現在、全てを捧げてもいいくらいに愛しい人がいるらしい。
 だがその人はひどくつれない人間で、我が儘で飽きっぽく、その癖すぐに新しいものに飛びつかずにはおられない。
 だから一方で、彼女のように印象に薄い人間は例え女優であろうとまったくもって興味を持ってもらえないのだ。
 


「そんな相手の目にとまるためには、なにかとんでもないインパクトを打ち立てて振り向かせる必要があると考えたの」

 國立女史はそう真剣な調子でツグトに熱心に語る。
 切々と思いを込めて語られたそんな事情に、しかしツグトが真っ先に漏らしたのは感心でも同情でもなく、呆れたような呟きだった。

「だからと言って妖怪になってやれだなんて、かなり短絡的な発想ですね」

 インパクトはある。間違いなくある。
 だが、その発想はあまりに普通では無い。突飛と言うか奇抜と言うか、とにかくまともな人間の考えることではないだろう。

「――それぐらいやらないと振り向かない相手なのよ」

 ツグトの歯に衣着せぬ物言いに怒り出すかと思われた彼女は、しかしぐっとうつむき唇を噛んだ。もはや形振り構ってはいられないということなのか、確かにそれだけ彼女は必死の様子だった。

「でも、そうして相手を振り向かせた後は?」

 國立女史のそうした訴えを気の無い様子で聞いていたツグトだったが、ふいに淡々とした静かな調子で彼女に尋ねた。國立女史はぎょっと顔をあげる。

「始めはどれほど奇抜に見えても、人はそれにも段々慣れてくる。もしもそのあとにまた飽きられてしまったら、貴女はいったいどうするつもりなんですか?」

 真っ赤な前髪がわずかに掛かるその黒瞳は、まるでこの世の全てを見透かすように真っ直ぐで、あるいは現実には無い何かをじっと見据えているようでもある。
 彼女は怯んだようにごくりと息を飲んだが、それでも怖気づいたりはしなかった。

 彼女はツグトの視線を跳ね返すように、さらに強い眼差しでツグトを見据えて挑むように微笑んだのだ。

「一度でも振り向いてくれればそれで充分よ。そうしたらあとは、あたし自身の魅力で相手を捕まえて離さなければいいだけだもの」

 よく言えば強気。悪く言ってしまえば傲慢。下手をすればストーカー行為の一歩手前である。
 しかしその自信過剰こそが、浮き沈みの激しい芸能界で目立ちはせずとも生き残り続けた彼女の秘訣なのかもしれなかった。

「ねえ、こんな考えの客には売ってもらえないかしら?」

 彼女はふいに心配そうにツグトを見る。しかし彼は首を振ると微かな笑みを唇に乗せた。

「いいえ、むしろその言葉を貴女から聞きたかった」

 ツグトは席を立つとごそごそと棚の中を漁る。そして小箱をひとつ、取ってきて彼女の前に差し出した。

「たぶん、これが一番貴女にふさわしい薬でしょう」

 猫舌屋の店主は言った。

「これはろくろっ首になる薬です」
 


   

「ろくろっ首、ですか……?」

 國立女史は不思議そうな顔をした。
 ろくろっ首は大抵のお化け屋敷などに行けば見つけられる化物だが、それでも河童や天狗などのメジャーどころの妖怪に比べれば知名度は低いように思われる。

 ツグトは書棚の中からかなり古びた本を取り出してきて広げて見せた。

「これは『画図百鬼夜行』という本で、安永5年に鳥山石燕によって書かれた言わば化物の図鑑です」

 彼はぺらぺらとその中の「飛頭蛮」と書かれたページを開く。そこには「ろくろっくび」と崩し字で仮名が振ってあり、しどけなく横たわった女性の首がまるで糸のように長く、ついたての後ろまで伸びていた。

「飛頭蛮とはもともとは中国の化物でして、首が抜けて飛んで行く、いわば抜け首と呼ばれる類いの妖怪でした。それが日本ではろくろっ首と同一視されたりもしましたが、本来は轆轤首と書かれるように轆轤で土を捏ねるように首を伸ばすことが特徴の化物です」

 彼はどこか滑稽に腕で首が伸びるジェスチャーをする。

「ろくろっ首とは江戸時代に大いに流行った化物です。同じく首の伸びる化物といえば他に見越し入道などがおりますが、特徴としてはやはり女性型の化物であることにつきるでしょう」
「はぁ」

 これまでの呆けたような態度から一転して突如活き活きとし始める店主に、國立女史は唖然としながら生返事をする。

「なぜろくろっ首が女性なのか。それはろくろっ首が女性特有の病の症状であると考えられていたからです」
「女性特有の病、ですか?」
「そうです。お医者様でも草津の湯でも治せない、――恋の病という奴です」

 ツグトはにやりと笑ってみせる。

「貝原益軒の『女大学』という本をご存知ですか? そこには「婦人に三従の道あり」と あり、すなわち家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従うことが理想と説かれていました」

 それは江戸時代における女性の目指すべき形を唄った本である。もっとも時代は変わるもので、今ではそれを時代遅れの悪しき風習として捉える人間のほうがずっと多いだろう。

「ようするに江戸時代、女性は特に不自由でどこに行くこともできず、会いたい人にも簡単に会うことができなかった。ならばせめて首だけになっても愛する人の元に行きたいといういじましい思いが、ろくろっ首という化物の正体なのです」

 例えば当時の娯楽本には京都に行った旦那を待ちきれずろくろっ首になって会いに行こうとした女性の話もある。と、彼は再びごそごそと書棚を漁り始める。

「はぁ、あの、本はもう結構ですから」

 自分は妖怪になりたいのであって、妖怪になった人間の本が欲しいわけではない。
 段々テーブルの上に積み上げられていく本を前に、國立女史は思わずストップをかけた。

「……そうですか」 ツグトは残念そうに本の探索を諦める。

「良い本ですのに、『狂言末広栄』……」

 未練がましく書棚に目をやり、ツグトは國立女史に言った。

「とにかく、ろくろっ首とはそうした人間の色恋にとても関わりが深い妖怪なんです」
「だから、この妖怪なんですか?」
「ええ、そうですよ」

 どこか戸惑う様子を見せる彼女に、ツグトはあっさりとうなずいてみせる。

「愛に血道をあげ、その為に化物にまでなろうという貴女にとってこれほどまでに相応しい妖怪はいないでしょう」

 それに、とツグトは言う。

「化物とは大概にして醜くおぞましいフォルムを持っているものですが、この化物は女性の愛情を具現化した、とても美しく愛おしい姿をしているとは思いませんか」

 「だからこそ貴女に相応しいのだ」 と、まるで宝物をみつけた子供のように目をきらきらとさせている店主。
 千歩譲れば口説いているようにも聞こえなくない台詞だが、その対象はあきらかに概念としての化物自体に向けられているのだからいかんともし難い。

 美しい女優はどこか困ったように苦笑して、けれど何よりも大事そうにその薬を譲り受けたのだった。


 
 

 
 その日は朝からかなり天気が良かった。
 その上風も無く、天気予報でも夏日だ夏日だと五月蝿いぐらいに騒いでいる。もっともそんなことはわざわざ教えてもらうでもなく、一歩外に出ればすぐに知れることだろう。

 そんな訳でここ『猫舌屋』でも、怠惰な店主、常居ツグトは店先での日向ぼっこを諦め、涼しい店内でシェスタを決め込んでいた。しかしうつらうつらと心地の良い惰眠をむさぼっていた彼は突然、遠慮なく肩を揺り起こされてぎょっと目を開けた。

「た・だ・い・ま、ツグト」

 すねたような仏頂面で彼の顔を覗き込んでいるのは、小学6年生ぐらいの少年。ツグトとは違いいまどきの子供らしい洒落たファッションに身を包んでいるが、耳まで隠れる大きな帽子をずっぽりと被っていることだけが少々変わっている。

「あ、ああ。お帰り、ビト。五泊六日の移動教室は楽しかったかい」
「まぁ、それなりにね」

 少年は小生意気な口調で肩をすくめて見せる。
 ビトと呼ばれたこの少年は、ちょっとした事情からツグトが面倒を見ているこの猫舌屋の居候だ。
 どちらかと言えばツグトが世話になっていると言ったほうが実情に沿っているような気がしないではないが、まぁ建前上はそうなっている。

 ビトは勝手知ったる態度で休憩室のダイアル式テレビをつけ、台所に向かう。
 この店の骨董品テレビは付けてもしばらく経たないと画面が写らない。画面が写っても、もうしばらく待たないと音が出ない。
 怠惰の権化というようなツグトがそんな面倒なテレビを見る習慣を持つようになったのは、何を隠そうこの少年が率先してテレビをつけてくれるからに他ならない。さもなければこの先もテレビは単なる置物としての役割しか果たさなかっただろう。

「ビト、家に帰ったらまずうがいと手洗いだろ」
「そんなのツグトを起こす前にとっくにやったよ」
「そ、そうか……」

 毅然と反論されて、ツグトは居心地が悪そうに身じろぎする。どうにもこの居候には立場が弱いのだ。
 もっともそんなことまるっきり無視して、ビトは台所の冷蔵庫を確認する。

「あっ、作っておいたお茶が減ってる。もしかすると珍しくお客さんが来たの?」
「ああ、そうだよ」
「ていうか、これ僕が作った時のまんまじゃん。もしかして古くなって痛んだお茶をお客さんに出した訳じゃないでしょうね!?」

 まれに来る客へのもてなしを自らの使命として疑わないビトが、威嚇するように歯を剥き出しにして店主を睨みつける。ツグトは慌てて首を振った。

「いや、お客さん来たのビトが出かけてすぐだったから!」
「ふぅん。それならまぁ、いいけどさ」

 「許してしんぜよう」とでも言わんばかりの態度でうなずくビト。これではどっちが店主か分かったものではないが、二人の関係はこれでも今のところ良好なのである。
 ビトは古くなったお茶を流しに捨てながら、ツグトに訊ねた。

「ねぇ、それでさ。いったい僕が居ない間にどんなお客さんが来たのさ」
「そうだねぇ」

 ツグトは生返事をしながら、ふとテレビに視線を向けた。テレビはようやく本来の役割を思い出したようで、多少ノイズ交じりではあるがやっと番組を写し出し始めていた。
 テレビの画面はちょうど何かの記者会見の最中だった。大仰な見出しのついた生放送のテロップが視聴者の目を否応無しに引き立てる。だがツグトがその画面に釘付けにされたのはけしてそれだけが理由ではなかった。
 画面に続き消えていた音声が唐突によみがえり、くたびれたスピーカーを震わせる。

『――つまり國立さんは人間ではなかったという訳ですね』
『そうです。仕方が無いこととはいえ、結果として皆様を騙してしまっていた事を謝罪します』

 パチパチとカメラのフラッシュが焚かれる。暴力的なほどのその光に曝されているのは、首の長い、文字通り蛇のごとく長い首をくねくねと動かしている一人の女性。
 一種異様なその姿は、しかし妖しいまでに艶めかしく、美しい。

『まだ、女優として芸能活動を続けるつもりですか』
『はい。すでにドラマや映画のオファーが続々と来ておりますので、それに出させてもらうつもりで――、』

 チャンネルを回せば、どの局でも女優・國立恵理加の信じられない正体について大きく報じられていた。
 唖然としてその会見に見入っていたツグトは、しかしやがてくつくつと堪え切れないように笑い出した。
 そして彼女が先日、この店にやってきた時の台詞を思い出す。


(私にはどうしても振り向かせたい人がいるの――、)

 
 果たして國立女史はこの事件によって全国的に名を売ることになるだろう。
 芸能界に現れた妖怪として、もはや知らぬ者などいなくなる。

 知名度に恵まれていなかっただけで、彼女はもともと美貌と才能を合わせ持っていた女優だ。この先必然的に、仕事は格段に増えていくに違いない。

 そして彼女は目論見どおり、自身の最愛の人の目を釘付けにする。

 ――すなわち、飽きっぽく、つれなく、目新しいものが大好きという『視聴者』の目を。
 

「ねぇ、どうしたのツグト。いきなり笑い出したりして」

 まだ幼い居候が訝しげな目でツグトを窺う。
 ツグトはくすくすとおかしそうに笑いながら、しかしはっきりとうなずいてみせた。

「この間来たお客さんはね、美しい女性だったよ。そして紛れもない天性の、女優だったのさ」

 猫舌屋の店主は胸のうちで、一途でしたたかで最高の女優である彼女に心からのエールを送ったのだった。  


【終】

 

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