走り回りすぎて息が切れていた。
「――要するに、俺が言いたいことはただ一つだ」 人の気配とは無縁の古ぼけたビルの屋上。
「こんなことで死ぬ奴は世界中探してもどこにもいない。だから――、」 漆黒の中折帽を被った男は、僕に向かってニヒルに言った。 「まぁ、安心して死ね」 ……それって矛盾してないか?
He is the perfect Hitman.
「あれ、サトちゃんだ。めずらし〜」
見知った顔、見忘れた顔から口々に声をかけられる。 失敬な。 確かに僕は不良学生ではあるけれど、世捨て人でなければレッドデータアニマルでもない。そんな街中でヒバゴンでも見たような顔をしないでくれ。 ……まぁ確かにここ二、三週間、アルバイトに精を出しすぎ大学で見かけなかったと認めるのはやぶさかではないけれど。 そんな風に少々釈然としない気持ちで講堂に向かい、しごく自然に、何気ない仕種で教室の扉を開けた。その次の瞬間、
ちなみにウチの大学で使われているのは例外なくすべてホワイトボードだ。 「さ、サトちゃん。美味しすぎっ」 背後で学友たちによる大爆笑が巻き起こった。 「これは君たちの仕業かい、うん?」
まぁ、確かにそうだ。 あらかじめ学校に来ることを誰かに告知していた訳では無いし、講堂には寄り道することなくまっすぐ向かった。
ようするに僕はこの無差別テロにも似た悪ふざけに運悪くひっかかってしまった哀れな犠牲者だと言うことだろう。 「……やれやれ。まったく、ついてないなぁ」 こんな昔懐かしい悪戯を仕掛ける人間の気が知れない。腹が立つよりも先に僕はすっかり呆れ返ってしまった。
しかしそれが犯人からしてみればほんの小手調べに過ぎなかったことに、僕はすぐさま気付かされるのだった。 「いくらなんでもおかしい」
それは大学の帰り道。電車の中で学友は断言した僕の言葉をあっさりと否定してくれた。だけどそれでも僕はめげずに首を振る。 「いや、さすがにおかしすぎる」 あの黒板消しを皮切りに、僕の周囲では妙な悪戯が頻発していた。 「だってさ、道を歩けばいきなり空から金ダライが落ちてくるだろう。んでもって建物に入った途端一斗缶が降ってくる」 僕はここ最近この身に降りかかった出来事を、ひとつひとつ指を折って挙げていく。 「グレープフルーツジュースを飲もうとすれば気付かないうちに100%レモン果汁にすり替えられているし、道にバナナの皮が落ちていることなんてここ一週間でゆうに十五回はあったんだぞ!」 それはなんと日に二度はバナナの皮が仕掛けられているという計算だ。
「おもしろそうでいいじゃん」
ちょっとは真剣に考えてくれ、と訴えると相手は不思議そうな顔で首を傾げた。 「そりゃさ、確かにおかしなことだとは思うけど、別にどれもどうってことないじゃん。バナナの皮も、金ダライも別にそれのせいで死ぬわけじゃないし」
学友はやれやれと肩をすくめる。僕はむっと唇を尖らせた。 「考え過ぎって、実際こんなことが続いたら誰だって疑心暗鬼に陥るだろう」
そんなほとんど役に立たない助言を残してのん気者の友人たちは別々の帰路につく。
(別に命の危険はないって、そんな保障どこにもないじゃないか) こんなことが毎日のように続くのは正直、気味が悪くて仕方がない。ストーカーなのかただの嫌がらせなのかは知らないけれど、それがエスカレートして命が危うくなることがないなんていったい誰が保障できると言うのか。 「まぁ本当に、飽きてどっかいってくれるに越したことは無いんだけどさ」 だけどそれも、やっぱり僕の希望的観測以外のなにものでもなかったらしい。 そもそも電車を待つためホームのまん前に立った僕は、おかしな現象に狙われ続けているにしてはあまりにも無防備だったのだ。 電車の接近を告げるランプが点滅し始め、線路の向こうに先頭車両が覗いたその瞬間。
『ひざかっくん』をされた。
思わぬ衝撃にバランスを崩した僕の顔面すれすれを電車がかすめていく。あと一歩でも前に出ていたら僕は先頭車両に首が千切れるほど強烈なビンタを喰らうことになっていただろう。 これはさすがにシャレにならない。
ラッシュアワーには若干早いこの時刻。
「待て、このやろう!」 僕は反射的にその影を追いかける。
影を追いかけて改札を抜け、細い道を何度も曲がり折りしているうちに僕は人気のない裏通りに来てしまった。
だけどそんなことで気後れするでもなく周囲をきょろきょろと探し回っていると、ふいに頭上に影が差すのに気付いた。 これまでの経験上何かが落ちてくると気付いた僕は反射的に飛びすさる。
バコ―――ンッ!!
ぎょっとするくらい大きな音をたてて降ってきたのは、なんとドラム缶だった。 これまでの黒板消しや金だらいとは訳が違う。
「この上だなっ」 しかし怒り心頭に発していた僕には、それを人に告げて助けを求めるなんて考えは欠片も浮んでこなかった。
|
≡ 次ページ ≡