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 走り回りすぎて息が切れていた。
 普段の運動不足のツケか、足の筋肉がびくびくと痙攣を起こしている。

「――要するに、俺が言いたいことはただ一つだ」

 人の気配とは無縁の古ぼけたビルの屋上。
 逃げ場はどこにもなく、悲鳴は誰も気付かないに違いない。

「こんなことで死ぬ奴は世界中探してもどこにもいない。だから――、」

 漆黒の中折帽を被った男は、僕に向かってニヒルに言った。

「まぁ、安心して死ね」

 ……それって矛盾してないか?
 


 

 He is the perfect Hitman.


 

 
 ことの始まりは黒板消しだった。

 
 その日僕は講義を受けるために、大学の構内を歩いていた。

「あれ、サトちゃんだ。めずらし〜」
「おおっ、明日は雪でも降るんじゃねぇか」

 見知った顔、見忘れた顔から口々に声をかけられる。

 失敬な。

 確かに僕は不良学生ではあるけれど、世捨て人でなければレッドデータアニマルでもない。そんな街中でヒバゴンでも見たような顔をしないでくれ。

 ……まぁ確かにここ二、三週間、アルバイトに精を出しすぎ大学で見かけなかったと認めるのはやぶさかではないけれど。

 そんな風に少々釈然としない気持ちで講堂に向かい、しごく自然に、何気ない仕種で教室の扉を開けた。その次の瞬間、

 
 ―――ばふっ

 
 僕の頭に黒板消しが落ちてきた。
 たっぷりとチョークの粉を吸った、あの昔懐かしい黒板消しが頭の上でもうもうと白い粉を撒き散している。

 ちなみにウチの大学で使われているのは例外なくすべてホワイトボードだ。

「さ、サトちゃん。美味しすぎっ」

 背後で学友たちによる大爆笑が巻き起こった。

「これは君たちの仕業かい、うん?」
「さ、サトちゃん……そんな虫も殺さぬような笑顔で首絞めてこないで。今さっきだぜ? おれたちがサトちゃん来たの知ったの。こんなネタ仕込むの無理だって」

 まぁ、確かにそうだ。

 あらかじめ学校に来ることを誰かに告知していた訳では無いし、講堂には寄り道することなくまっすぐ向かった。
 僕の行動を逐一監視してでもいない限り、僕を標的にこんな馬鹿げた悪戯を仕掛けられるはずがないのだ。

 ようするに僕はこの無差別テロにも似た悪ふざけに運悪くひっかかってしまった哀れな犠牲者だと言うことだろう。

「……やれやれ。まったく、ついてないなぁ」

 こんな昔懐かしい悪戯を仕掛ける人間の気が知れない。腹が立つよりも先に僕はすっかり呆れ返ってしまった。
 そうして小さくため息をついてチョークの粉を払い落とす。

 しかしそれが犯人からしてみればほんの小手調べに過ぎなかったことに、僕はすぐさま気付かされるのだった。


 

「いくらなんでもおかしい」
「単に考えすぎなんじゃないの?」

 それは大学の帰り道。電車の中で学友は断言した僕の言葉をあっさりと否定してくれた。だけどそれでも僕はめげずに首を振る。

「いや、さすがにおかしすぎる」

 あの黒板消しを皮切りに、僕の周囲では妙な悪戯が頻発していた。

「だってさ、道を歩けばいきなり空から金ダライが落ちてくるだろう。んでもって建物に入った途端一斗缶が降ってくる」

 僕はここ最近この身に降りかかった出来事を、ひとつひとつ指を折って挙げていく。

「グレープフルーツジュースを飲もうとすれば気付かないうちに100%レモン果汁にすり替えられているし、道にバナナの皮が落ちていることなんてここ一週間でゆうに十五回はあったんだぞ!」

 それはなんと日に二度はバナナの皮が仕掛けられているという計算だ。
 こんな偶然ありえるはずがない。

「おもしろそうでいいじゃん」
「おまえ……人事だと思いやがって。この間なんてな、うな丼を食ったらどんぶりの下半分に梅干が敷き詰められていたんだぞ。冗談じゃないっ」
「うな丼いいなぁ〜、サトちゃん奢ってよ」
「そういう問題じゃないだろっ。鰻に梅干なんて最悪の食い合わせじゃないか!」

 ちょっとは真剣に考えてくれ、と訴えると相手は不思議そうな顔で首を傾げた。

「そりゃさ、確かにおかしなことだとは思うけど、別にどれもどうってことないじゃん。バナナの皮も、金ダライも別にそれのせいで死ぬわけじゃないし」
「一斗缶だったら打ち所によっては死ぬよっ」
「そんなのよっぽど運が悪かったらの話だろう。サトちゃんの考え過ぎだってば」

 学友はやれやれと肩をすくめる。僕はむっと唇を尖らせた。

「考え過ぎって、実際こんなことが続いたら誰だって疑心暗鬼に陥るだろう」
「よっぽど悪辣になってくるようだったら警察にでも通報すればいいさ」
「毎日道にバナナの皮が仕掛けられているので助けてくださいって? どこまで本気にして貰えるかわかんないよ」
「そん時はそん時さ。大丈夫だって、別に命の危険はないわけだし。そう心配しなくたって犯人もしばらくすれば飽きてどっかいっちゃうよ。それまでの辛抱だって」

 そんなほとんど役に立たない助言を残してのん気者の友人たちは別々の帰路につく。
 乗り継ぎのためにホームに降り立った僕は、その場で深々とため息をついた。

(別に命の危険はないって、そんな保障どこにもないじゃないか)

 こんなことが毎日のように続くのは正直、気味が悪くて仕方がない。ストーカーなのかただの嫌がらせなのかは知らないけれど、それがエスカレートして命が危うくなることがないなんていったい誰が保障できると言うのか。

「まぁ本当に、飽きてどっかいってくれるに越したことは無いんだけどさ」

 だけどそれも、やっぱり僕の希望的観測以外のなにものでもなかったらしい。

 そもそも電車を待つためホームのまん前に立った僕は、おかしな現象に狙われ続けているにしてはあまりにも無防備だったのだ。

 電車の接近を告げるランプが点滅し始め、線路の向こうに先頭車両が覗いたその瞬間。
 僕は背後から――
 

  『ひざかっくん』をされた。

 
「うおおっ!!?」

 思わぬ衝撃にバランスを崩した僕の顔面すれすれを電車がかすめていく。あと一歩でも前に出ていたら僕は先頭車両に首が千切れるほど強烈なビンタを喰らうことになっていただろう。

 これはさすがにシャレにならない。
 僕はバクバクと暴れる心臓を片手で押さえつけ、慌てて背後を振り返った。

 ラッシュアワーには若干早いこの時刻。
 黒い影が人に紛れ慌てて階段を駆け下りていくのがはっきりと見えた。

「待て、このやろう!」

 僕は反射的にその影を追いかける。
 それが始めから仕組まれていたということに、僕はついぞ気付かなかった。


 

 影を追いかけて改札を抜け、細い道を何度も曲がり折りしているうちに僕は人気のない裏通りに来てしまった。
 雑居ビルが立ち並ぶそこは夕刻だと言うのに賑やかしさの欠片もない。
 赤い日が差し込むその路地は、まるで近未来SFにでも出てくる荒廃した都市に迷い込んだ気分だ。

 だけどそんなことで気後れするでもなく周囲をきょろきょろと探し回っていると、ふいに頭上に影が差すのに気付いた。

 これまでの経験上何かが落ちてくると気付いた僕は反射的に飛びすさる。
 

 バコ―――ンッ!!
 

 ぎょっとするくらい大きな音をたてて降ってきたのは、なんとドラム缶だった。

 これまでの黒板消しや金だらいとは訳が違う。
 こんなのが当たれば即死……かどうかは分からないけれど、打ち身どころの騒ぎじゃ済まないことは間違い無し。僕が命を狙われたというのは誰の目からもあきらかだった。

「この上だなっ」

 しかし怒り心頭に発していた僕には、それを人に告げて助けを求めるなんて考えは欠片も浮んでこなかった。
 ただ犯人を捕まえようと、形振り構わず外付けの螺旋階段をがたんがたんと派手な音をたてながら駆け上っていったのだった。


 

 

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