≡ 十度目のメビウス ≡
――それはただ、君が居る未来の為に…… 時計はもう十時近くを指していた。年が明けるまであとニ時間しかない。
炬燵に入って蜜柑を剥いていると、彼女の 「あのね友輝、誤魔化したりしないでちゃんと答えて欲しいの」 仁王立ちになって彼を見下ろす彼女の目は怖いほどに真剣だ。
美弥が何を言おうとしているかすでに知っていたものの、友輝はとりあえず手にした蜜柑を差し出した。 「そんなに食べたいなら遠慮せずともやるぞ」
ぷくっと頬を膨らますのは彼女が怒ったときの癖で、これまで告げたことは一度も無いが友輝は美弥のこの表情をかなり気に入っていたりした。 「分かった分かった。何でも答えてやるからとりあえずそこ座れ」
美弥はもそもそと炬燵に足を入れ、おもむろに蜜柑を剥き始める。そしてはたと気付いて、友輝のほうを見た。 「友輝のイジワル」
炬燵に入れば反射的に蜜柑を剥き始めるであろうことは分かっていたが、それで意地悪呼ばわりされるのは心外だ。彼は思わず苦笑をもらした。 「それで、いったい何の用だよ」
美弥は戸惑ったようにもそもそと口を動かし、そしておそるおそる視線を上げた。 「友輝って、もしかすると未来が分かったりするの?」 軽く眉根を寄せ、彼は不思議そうに美弥を見た。 「いきなりだな。どうしてそんな事を思ったんだ」
その言葉は間違っていないので素直にうなずく。 「だけど友輝って、まるで未来が見えているかのように正しい行動ばかり取ってるって気付いてる? 友輝が乗りたくないって言う時には電車は必ず遅れるし、入りたくないって言ってたお店は数日後には食中毒を起こしたわ」 そうやって美弥は次から次へと一年のうちに起こった様々な出来事をあげてゆく。 「今日だってそう」 彼女は買ってきたばっかりの洋服を指差した。 「友輝が中身を確かめたほうがいいって言うから包装紙を開けたら、お店の人すっかりスカートを入れ忘れてた。おかげで助かったけど、でもどうしてそんなこと分かったの?」 まるで入っていないことをあらかじめ知っていたみたいに。そう言って窺うような上目遣いで、 「友輝は、――未来が分かるんじゃないの?」 美弥は友輝にたずねた。 普通に考えれば、それはかなり突拍子もない、冗談にしか思えないような問い掛けだろう。
しかし意外にも、友輝はその質問を笑い飛ばそうとはしなかった。
「……なぁ、俺が大晦日に美弥と出かけるのが十度目だって言ったらどうする?」
唐突に問い掛けられた言葉に美弥は思わず目を丸くした。 「だ、だけど、今日って二人で過す初めての年越しじゃなかったっけ」
美弥はぱちくりと目を瞬かせたまま固まってしまった。 もしや自分の言葉に冗談として付き合ってくれているのかと思ったが、そうではない。
「それは、前世で一緒だったとかそういうお話……?」 美弥はおずおずと遠慮がちに問い返した。 唖然とした顔をしてはいるけれども、頭ごなしに否定しようとしない。
しかし今そんな美弥の思考回路は、友輝にとっては至極都合の良いものだった。 「そうじゃない。俺はもう何回も、お前と出会ってからの一年間を繰り返し続けているんだ」
美弥は困った顔をして首を傾げた。 「あたしには、一回分の記憶しかないし」
美弥は先を促すように、友輝の目を見つめる。
「さきの正月に俺は美弥と知り合い、付き合い始めた。ここまではいい。だけど、一年が経過し――年が終わると同時にすべてがリセットされる。俺は年のあたまに戻されるんだ」
それはまるでメビウスの輪のように、繰り返される一年間。
「俺にしてみれば、あの店の店員はもう十度服を入れ忘れている。そして美弥にこの質問をされるのは、最初の回を抜かして九度目のことだ」
友輝はあっさりと答えた。 「――もっとも、美弥の今日の質問に正直に答えたのは今回が初めてだけどな」 そうぽつりと付け加える。 これまではただ笑い飛ばすだけだった。
だけど今回に限り、ふと気まぐれを起こす気になったのは――、 「さすがに、ウンザリしていたのかもしれないな。同じ日々の繰り返しに」 わずかに口元を歪めて笑う。
「だけど、何が起こるか知っているんだったら、あえて違うことも逆にできるんじゃないの?」 そう思いついた美弥はちょこんと首を傾げた。 自分の知らないところで起きる事実は変えられなくても、自分が関わる範囲でなら違う未来を選ぶことも不可能じゃないのではないか。 美弥にしては珍しい鋭い指摘に、友輝は小さく微笑んだ。 「ああ、俺もそう思ったよ。だけど、多少の差異はあっても結局は同じようなことが起こる。俺がどう足掻こうと基本的な流れは変えられないんだ」 最初のうちは酷く足掻いた。
「最初に繰り返した時、俺は真っ先にお前のところに行ったんだ。だけど美弥は俺のことなんかまったく知らなくってな、ストーカー扱いされて、警察を呼ばれて、挙句の果てには狂人呼ばわりだ。だけどそんなはちゃめちゃな時でも、結局は付き合うようになり大晦日は共に過した」 遠くを懐かしむように友輝は目を細める。
「あたしは、そんなこと知らないわ」 たしかに初めて出会った時から妙に馴れ馴れしい人だなとは思ったけれど、出会い自体はごく普通のものだった。 美弥は二人の馴れ初めを思い出す。
それは今からちょうど三六四日前。
彼はふっと苦笑する。 「それはそうさ。これは今回の美弥の話じゃなくて、八回前のお前の話なんだから」 彼はゆっくりと目を閉じて呟いた。 「初めのうちはどうにか元の時間の流れに戻ろうとしたものだけど、今はもう諦めた」 どれだけ逆らっても自由になれないのなら、素直に流れに身を任せたほうがずっと楽だ。 「どうせなるようにしかならないんだからな」 そうしてまた最初から繰り返すのだ。
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