≡ 十度目のメビウス ≡
「でも年が替わると同時に友輝の時間が戻るなら、今ここにいる友輝はどうなるの?」 美弥はふいに不安そうな顔で友輝ににじり寄った。 「あたしの前から居なくなったりはしないよね」 「さぁ、それはどうだろう」 しかし友輝はあっさりと首を傾げた。 「正直なところ、俺にもどうなるかなんてさっぱり想像がつかないからな……」 自分はビデオテープを巻き戻すように時間の繰り返しを認識しているが、はたして他の人間はどうなのか。
「もしかすると俺は跡形もなくこの次元から消えてしまうのかもしれないし、逆に来年の俺が何の問題もなくそこに存在しているのかもしれない。なにしろ俺が知っているのは年が替わる直前までだからな」 そう呟いて、ふいに友輝は意地悪げな表情を浮かべた。 「それにもしかすると、未来は無いのかも知れない」
訳知り顔でうなずいた友輝は、噛みしめるようにゆっくりゆっくり言葉を紡いでいく。 「俺が同じ一年を繰り返すのは、この先に未来が存在しないからかも知れない。何らかの理由で世界そのものが消滅して、次の年なんて訪れない。だから俺はレコードの針が飛ぶように最後の一年をなんども繰り返しているのかもしれないな」
美弥が顔色を変えた。
「もちろんそうなれば、当然美弥もこの世界から消滅してしまうな。何しろ世界が終わってしまうのだから、来年なんて年は永遠にやってこない」 友輝は哀しげに美弥を見つめて言った。 「永遠にさよならだね、美弥」
彼女の大きな目がぱちくりと瞬いた。
「そんなことが本当にあったらどうする?」 にやにやと笑う彼の前で美弥はひくりと頬を引きつらせた。 「も、もしかすると今のは全部――、」
眉を吊り上げて殴りかかる美弥を、友輝は笑いながらなだめた。 「ホント信じられない。冗談は言わないでってあれだけ言ったのに」
美弥はぷりぷりと怒りながら、それでも素直に出かける仕度を始める。
外に出ると冷ややかに澄んだ空気の中で星が光っていた。
「ねぇ、さっきの話だけど。もし友輝が本当に同じ一年を繰り返すとしたら、他にどういう理由があるかしらね」
思い出したように美弥はぷっくりと頬を膨らませる。やはり騙されたことはそう簡単には許せないらしい。
「冗談好きな友輝に付き合ってあげてるの。ほら、さっさと答えなさいよ」 脅しているような美弥の言葉に、友輝は苦笑しながら首を傾げた。 「さぁて、俺には見当が付かないな。もしかすると美弥には予想が付いたのか?」
たぶんあたしに出会ったこととか――。 小さな声でそう言って美弥はくすくすと笑った。 のんびりと夜道を歩いているうちに、美弥ははっと慌てたように顔を上げた。 「ヤダ、大変。あたしストーブの火を消し忘れてきたかもしれない。ちょっと見てくるわね」
すぐ戻ってくる、そう言って走り去る美弥の後姿を友輝はじっと見送っている。 「……じゃあな、美弥」 静かに、彼は別れの言葉を口にした。 このまま美弥に会うことはない。そのことを友輝は知っていた。 戻ってくる前に、日付が変わる。
それは彼にとって、もはや 本当は出かける間際に確認していたから、ストーブに火が入っていないことも知っている。だけどそれを美弥に告げ、ここに彼女を留めておく勇気は彼にはなかった。
「もう少ししたら、始めからまたやり直しか……」 彼は小さくため息をつく。 あと十分で、すべてが白紙に返る。
――それはまるで哀れな 友輝は唇を引き結ぶと、くっと天を見上げた。 「だけど美弥……俺は、それ程このメビウスを不幸だとは思っていないんだ。何せ、お前に会えることだけは変わらない……」 責め苦とも思える繰り返しの中で、それだけは唯一認められる幸運。なぜ同じ年を繰り返さなければならないのかさえ分からないのだから、不幸中の幸いとさえ言えるだろう。 「何か理由があるから、か……」 友輝はふと先刻の美弥の言葉を繰り返した。
「他の年ではならない理由――、」 だけどそんなものがあったとしても、すでにこの一年は過ぎ去ろうとしている。
――しかし、 (違う、な……) 友輝はふいに深く考えを廻らせた。 一年を繰り返すにしても、何かしらのきっかけがあって然るべきだ。
そして彼は、ここで始めて思い至った。 (なぜ、美弥は戻ってこない?) ここからアパートまで歩いてほんの数分の距離。
彼は反射的に駆け出した。
日付が変わるまで後数分。
(まさかっ!) そして彼は目撃した。
「美弥ぁぁっ!」 彼は無我夢中で地面を蹴り、美弥を突き飛ばす。
―― ごぉーん、ぐぉーん、ごぉーん…… 荘厳な響きで、除夜の鐘が鳴り始める。
(そうか、俺はこれを変えたかったんだ) すべての始まりとなる最初の一年。
宙を舞い、力なく地に倒れ伏す彼女の姿。
それはさながら、時の変わり目に突き刺さった楔。
繰り返しの原理など、きっと誰にも分からない。
来年は、訪れなかった。 彼女のいない未来を防ぐために何度も、何度も、同じ年を繰り返すことで――、 「――友輝、友輝ぃぃ!!」 懸命に自分を呼ぶ声が聞こえる。
「美、弥……」 彼はゆっくりと手を伸ばし、美弥の頬に指を添わせる。
「やっ……と」 友輝はとても嬉しそうに、微笑んだ。 「やっと、美弥のいる……未来を、手に入れた……」
闇に沈みゆく意識の傍ら、彼はふいに思い出した。 (そういえば、まだ美弥に告げてないな……) 年明けの、新しい年への祝福を――、 ※ ※ ※ 冬の寒さが和らぎ、新春と言うよりはすっかり世間が春の陽気に包まれた頃、美弥は再びあの十字路に立っていた。 「友輝――。あの事故から、何だかもう十年以上経ったような気がするね」 返事はない。
「実際は、まだ数ヶ月もたってないのに、あたしにはあの日のことがもう夢のように思えるわ」 だけど記憶の中には深く刻み付けられている。 血に塗れ、力なく地面に横たわる友輝。
あの事故で、白い乗用車を運転していた一人が死亡。助手席に座っていた女性も、病院に運ばれてしばらくして亡くなったそうだ。
そして友輝は――、 「ねぇ友輝、ちょっと聞いてるの?」 美弥は眉をひそめて振り返った。 「んぁ?」 車椅子におさまった友輝が寝ぼけ眼で顔をあげる。 「もう、返事がないなと思ったら。良くそんなところで寝てられるわね」
あくびを噛み殺しつつ頭を振る。
「美弥は本当に人が好いよな。彼氏をはねた相手のお参りなんて」 からかうような友輝の嫌味に美弥はつんと唇を尖らせた。 「そりゃあたしだって腹が立たない訳じゃないけど、死んじゃったら皆ホトケさんでしょ。いいじゃない、友輝にまでは強制してないんだから」
友輝は小さく首を振って身をひるがえした。 「ほら、それより。公園行って鳩に餌やるんだろう」
小走りに自分に駆け寄り、笑いかける美弥の手を友輝はつかむ。 「美弥。――ハッピー・ニューイヤー」
それに今年で何度目? 呆れたような顔をする美弥に友輝は笑って答えた。 「いいんだよ、めでたいことは何度祝ったって」 彼は眩しげに天を仰ぐ。
これは十年をかけてようやく手に入れた、自分にとっての最高の未来なのだから――。
【終】 |
≡ 前ページ ≡