―― 魔法の鏡はかく語れり ――
第三幕 夜更けの人さらい

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   夜も更けかかってきた頃、ブラン殿下は何かに顔をぺちんと弾かれたような気がして目を覚まされました。
 焚き火を挟んだ反対側で寝ていたはずのスーリヤの姿は無く、周囲を見回せば茂みのそばで何かをうかがっているようでございました。
 毛布から這い出ておずおずと近付かれますと、ブラン殿下はスーリヤに問いかけます。
「スーリヤ、どうしたの?」
「ああ、ブランも気付いたか。ほら、あれ」
 何のことかと思いつつ、寝ぼけ眼を擦ったブラン殿下が目を凝らすと、草の陰を何やら大きな袋を担いだ怪しげな影がえっちらおっちら歩いているではありませんか。
「あ、あの荷物……っ」
 男の担いだ大きな袋からはにょきんと二本の足が生えております。男が担いでいるのが袋人間でないのだといたしましたら――、
「人攫い――、」
「ですよね……」
 すくっと立ち上がり男に向かおうとするスーリヤの腕を、ブラン殿下は慌てて掴んで引き止めます。
「なぜ邪魔をするんだ!」
「ほかに誰か助けを呼んだほうがいいですって、絶対!」
 目に涙を浮かべながら、ぶんぶんと首を振る『白雪』『へたれ』ブラン殿下。もっともその意見も一理あるわけではありますが、スーリヤは否を唱えます。
「救援を待っている間に、男を見失ってしまう可能性のほうが高い。そうしたら掴まっている人を助けられなくなるかも知れない。私はそんなの見逃せない」
 今にも剣を抜き払い駆け出しそうなスーリヤ。義憤に燃え、決して身を引くことをよしとしそうにない彼女に、ブラン殿下も決心なさいました。
「……わ、分かった。じゃあ、ぼ、僕が、おとりになる、から……」
 スーリヤは驚いてブラン殿下を振り返ります。
 目にいっぱい涙をためたブラン殿下は顔を青ざめさせ、足を震わせ、呂律も危ういものでございます。
「ブラン、無理しなくていい。君は荒事には慣れていないんだろう? 君はどこかに隠れていてくれ。その間に終わらせるから」
「そ、そんなの駄目だよっ!」
 しかしブラン殿下も頑として引きません。
「スーリヤみたいな女の子一人だけを、危険な目にあわせるなんて出来ないよ。僕がおとりになって飛び出すから、あいつが僕を追いかけている間に掴まっている人を助けてあげて」
「だが……」
「それに、僕はへたれだけど魔法だって使えるんだ」
 教本無しには一割の成功率であろうとも、スーリヤを人攫いに立ち向かわせるぐらいなら、自分が向かったほうがよっぽどマシだとブラン殿下は奮い立ちます。
 そしてスーリヤが止める間もなく、奇声を上げたブラン殿下は人攫いの男の前に飛び出していったのでございました。




 突如奇声を上げながら、自分の視界を横切っていった人間の姿を人攫いの男は唖然として見送ります。しかし見られてしまったからには放置してはおけないとばかりに、慌ててブラン殿下を追いかけはじめたのでございました。
 舞台は暗い夜の森、足場も悪いとなればヒト一人背負ったままに誰かを追いかけるなんて到底出来ることではございません。
 そんなわけで、人攫いの男はブラン殿下の目論見どおり袋詰めにされた人を置き去りにして、殿下を追いかけ始めたのでございます。
 もっとも追いかけられているブラン殿下といたしましては、もはやそんなことを気にしている場合ではございませんでした。足は恐怖でがくがく、顔は涙でぐちゃぐちゃ。元より体力だってないわけですから、後どれだけ逃げられるかも分かったもんではありません。
 それでも、あと一尺、あと一寸でも遠くスーリヤから男を引き離そうと一心不乱に走り続けます。たぶん、一生のうちで一番やる気を出し、一番一生懸命に走ったのではないでしょうか。
 ああ、しかしなんということでしょう。そんな懸命な努力も、体が追いつかなければそれまでのこと。殿下は木の根っこだが茂みだかに足を引っ掛け、盛大にずっこけてしまったものだから、さぁ大変。全身土まみれの葉っぱまみれの擦り傷まみれ。
 しかしなにより問題なのは、背後から着々と迫り来る人攫いの存在。
 ああ、もう駄目だ。自分はここで死んでしまうのだ。この世を儚み、えぐえぐと泣きじゃくるブラン殿下。もう髪の毛は枝や葉っぱが絡まりぼさぼさ、顔は涙と泥でぐちゃぐちゃのえらい有様でございます。
 しかし、せめて最後に一矢報いたいと、ブラン殿下は人攫いを睨みつけると震える声で呪文を唱えました。
「ひ、光よ……爆ぜろ!」
 ――ぷすん。
 空気の抜けたような音と共にこてんと転がったのは一輪の百合の花。
 最後の最後まで失敗続きの魔法に、ブラン殿下は悔しいやら腹立たしいやらで、眼前に迫る人攫いの前でぼろぼろと泣き出してしまわれました。
 人攫いの男はそんなブラン殿下を厳つい顔つきのままじっと見つめ、おもむろに懐から取り出した何かを突き出します。ひらりとたなびく白い紙。ブラン殿下はそこに書かれた文字を呆然として読み上げました。
「び、……びっくり――?」

『大・成・功〜っ♪』

 楽しげな声を張り上げながら茂みを掻き分け現れたのは、宮廷魔法指南役にしてメイド、そして林檎の魔女である――、
「ソルシェールぅぅぅ〜っ!?」
 泣き腫らした目をまん丸に見開き、魔女様に向かって指を突きつけるブラン殿下でございました。  


 

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